【徹底議論】「平和構築」のためのリアル
ウクライナ戦争時代の「人権」を問う
第3回 フェアな視点の国際協調と和解こそ、現実的な安全保障
申惠丰青山学院大学教授(国際法学)×東大作上智大学教授(国際政治学)【2023.6.24】
ウクライナ戦争が戦争を経て、日本でも盛り上がる安全保障の議論。それに便乗する形で進められる岸田政権の大軍拡。私たちはどのような姿勢で安全保障の議論に向き合えばいいのか。軍事ではない「安全保障のオルタナティブ」を構想するためのヒントはどこにあるのか。青山学院大学教授の申惠丰さんと上智大学教授の東大作さんによる、国際平和をつくるための方途を探る連載、最終回です。
第1回 国連や国際法は無力なのか、和平調停に活路は開けるか
第3回 フェアな視点の国際協調と和解こそ、現実的な安全保障 |
過去を振り返り、フェアな視点を
――これまでの議論のなかでお二人ともプーチン大統領の犯した戦争犯罪に真剣に向き合うべきという姿勢を明確に示す一方で、自由、民主主義、人権などを掲げてアメリカなど西側諸国がかつて行なった軍事侵攻も同様に厳しく見ておられました。そうした「現実的な視点」から、いわゆる「台湾有事」も含めたいまの日本の安全保障議論についてどのように考えていますか。
申 ひとつ言いたいのは、日本社会があまりにも「忘れっぽすぎる」ということです。イラク戦争はわずか20年前の出来事です。日本もイラクへの侵攻を支持しました。自分たちがイラク戦争を支持した結果、イラクの人たちがどうなったか。自分たちの言動のその後について考えず、忘れている人たちが大部分ではないでしょうか。ですから私は学生に、歴史的な視点で考えることを教えています。プーチン政権がいま行っていることだけを見れば、国際法が無意味に見えてしまう側面もあるかもしれないけれども、20年前に自分たちの国も戦争を支持したのだと。振り返ることによって、自分の考え方や日本政府の方針について考える良い材料になると思います。
東 私もフェアに物事を見る視点が重要だと思います。日米安保体制という枠組みはありますが、だからといっていつもアメリカと一緒に戦争するというので本当にいいのか。そういうことを考えるうえでも、この70年ぐらいの歴史的な状況を見る必要があります。中国やアメリカといった大国による覇権争いが激しさを増すなかで日本が賢く生きていく、もしくは生き延びていく知恵や方策を探し出すためには、これまで西側にもいろいろ問題があったし、ソ連やロシア、中国にも問題があるというフェアな現状認識を持たなくてはならないと思うんですね。
申 フェアな視点というのはまったく同感です。そのときに、アメリカが過去に犯してきた過ちについて日本がこれまで指摘したことは一度もなく、むしろ下支えをしてきたという側面は無視できません。重大なのは、アメリカが世界各地で行ってきた軍事行動のために、日本にある在日米軍基地を使わせてきたことです。日本の米軍基地からベトナムにもイラクにも出撃しています。厳密に言えば、そのように自国の領土を外国の侵略のために使わせるというのも国際法に反します。
自分の頭で安全保障を考える
東 中東やアフリカに行くと、アメリカへの批判はすごく強いです。それは自分たちのイデオロギーを強引に押し付けてきたと見られているからです。その点、日本はその国の人たちが自立して生きていけるような支援をやってきたという認識を持ってくれている人が多く、これが日本の強み、良さであり、これを生かしていく必要があると思います。いまの世界のなかで、どのような役割が日本にとっても、世界にとってもいいのかという問題を、自分の頭で考える必要があると思います。
申 「台湾有事」ということも、根本的に考えなくてはいけません。言葉が独り歩きしてしまっていて、「台湾有事」に備えて日本も準備しなければという議論が進んでいますが、そもそも台湾は日本ではありません。なのに、なぜ日本が「台湾有事」を前提として、南西諸島などに基地を置く話になるのか、ということを改めて考えなければいけないと思います。
すでに南西諸島の軍事化もどんどん進んでいますが、それは危険なことです。軍事基地を置けばそこが攻撃対象になるからです。国際人道法上も軍事目標主義ですから、軍事基地とか弾薬庫とかがあればそこが攻撃されるわけです。
東 中国が台湾に武力介入する。アメリカの艦船が攻撃を受ける。それを避ける努力はもちろんすべきですが、もし仮にこうしたことが起こったとき、日本が直接攻撃を受けていないにもかかわらず武力を行使するのかどうか。この点について国民的合意は得られていないと思います。ここはきちんと考えなくてはなりません。
申 そうなんですよね。おそらく、あまり深く考えずアメリカと一緒に準備しなければという人が多いと思うのですが、アメリカ本土には戦闘は及ばず、日本や台湾が戦場になるのだと思います。トランプ大統領のときも、日米安保体制について“The United States of America stands behind Japan”(我々は日本の後ろにいる)と言っていましたが、この言葉のニュアンスには率直な考えがでていると思います。日本としては、日本が戦場になって戦う覚悟があるのか、ということが問われていると思います。
市民として、いかに中国と向き合うか
――日本の政府としてどのように中国と付き合うかという点はもちろんあるのですが、一方で私たちが市民として中国といかに向き合っていけばよいでしょうか。
申 中国=中国政府ではありませんよね。市民の交流はとても大事です。例えば、1930年代から日本は当時の満州にたくさん人を送り込んで開拓させました。戦後日本に人びとが引き上げる際に中国に残さざるをえなかった子どもたちがいます。いわゆる中国残留孤児です。この子どもたちは中国の人びとからすれば憎いであろう日本人が残していった子どもたちです。しかし、中国の人びとはこの子どもたちを引き取って、育ててくれました。その後、日本に永住帰国した方も多くおられますが、かれらは中国の人びとへの深い感謝を当然表明していますし、そうした交流はとても貴重なものです。
また「撫順の奇蹟」と呼ばれる出来事もありました。敗戦後、旧日本軍の兵士が中国で戦犯管理所に入れられたのですが、そこで非常に手厚い待遇を受けながら反省する機会を与えられたことで完全に考え方が変わり、平和主義的な考えを持って日本に帰国した兵士がたくさんいました。その方たちは、自分たちの犯した残虐行為への反省を語りながら、中国への感謝を述べ続け、いままで中国との友好関係を保つ活動をずっとしてらっしゃるんです。いま、中国の政府レベルの強権性ばかりが言われますが、こうした貴重な活動がいままでいくつもあります。やはり相手国の人びとの存在を忘れずに、過去のことを振り返りながら日本人としても冷静に現状や将来を考えるべきだと思います。
東 冷静に現在の経済を考えても、中国はもっとも大きな貿易相手国です。なので、言うべきところは言いつつ、協力できるところは協力するという発想で向き合っていくことが大事なんじゃないかと思います。
本当の「安全保障」へ
――最後に、軍事力に依存するのではない「安全保障のオルタナティブ」についてお伺いできますか。
申 安全保障といったときに、それは決して軍事だけではありません。今回のウクライナ危機でも明らかになったように、食料やエネルギーがなければ生きていけないわけで、日本みたいな食料自給率が3割程度の国が軍事ばかりに傾倒して一体どうするのでしょうか。むしろ、多くの人は非正規雇用の増加や教育費の高さ、物価の高騰などで苦しんでいて、そのような問題に取り組むことこそが本来の「安全保障」です。軍事の話だけが先走るのは非常にバランスを欠いた議論です。
東 まさにいま申先生がおっしゃったように、人が死ぬのは戦争だけではありません。いくら防衛費を増やしてもコロナは防げませんし、地球温暖化でも毎年大きな被害が出ています。また、児童相談所のスタッフの不足や保育士の不足など、人びとが生きていくために最低限必要なことがたくさんあります。防衛と福祉とのバランスを考えるべきです。その意味で、日本政府がずっと世界に向けて大事だと主張してきた「人間の安全保障」つまり、「国家の安全保障だけでなく、そこに住む人間の安全を本気で考える」という発想が、日本国内でも非常に大切になっていると感じます。
申 そうですね。国を作るのはなんといっても人です。今、若い人たちには、非正規雇用で生活が安定しないために家庭をもつことが難しい人も多いです。自分の「奨学金」=借金の返済に追われる中で、子どもができれば子どもの教育費もかかるわけですから、とうていやっていけません。日本は教育予算が少なくて学費が高すぎるのです。子どもが生まれず、人口がどんどん減っている。そういうなかで、軍事だけ突出するのを正当化するのは難しいと思います。
世論調査では防衛費増額に賛成という人が6割ほどいます。感情としてはわかりますが、じゃあ軍備をたくさん持てば本当に安全になるのか。そこも冷静に考えたほうがいいと思います。
東 感染症や地球温暖化、それに伴う干ばつ、食料不足や飢餓といった、多くの人の命に関わる地球規模の課題がどんどん深刻化しています。これらはひとつの国では解決できず、いろんな国や国際機関が協力して解決策を見つけ実行していく必要があります。日本は比較的、そういった問題について現地の人々に寄り添って支援をしてきました。だからこそ、中東やアフリカでは日本をパートナーとして見る人びとも多いわけです。私はこの役割を維持、発展させていくことが大事だと思います。そういった地球規模の課題に真剣に取り組めば、当然、世界中に日本の味方が増える。そして多くの味方がいる国を、一方的に侵略することはやはり難しく、結果的に国を守ることに繋がります。なので、実はいままで日本が築いてきたことは決して無駄ではなくて、むしろ財産であり、そうした国際的な貢献・関与をこれからも維持・拡大していくことが現実的な安全保障だと思います。私は、こうした地球規模の課題の解決に向けて、日本は現地での支援に加えて、第三世界を含めた多くの国々や、国際機関、NGO、専門家などが知恵を出し合い、解決策を共に模索するような対話を促進する、いわゆる「グローバル・ファシリテーター」としての役割を担えるし、それが結果的に、日本の味方を増やし、日本の安全保障を高めることにも繋がると考えています。
(まとめ・構成 塩田潤)
(写真 川村拓希/デザイン 伊勢桃李)
申惠丰
青山学院大学法学部卒業、東京大学で修士号(法学)、ジュネーブ国際高等研究所でDES(国際法)のち東京大学で博士号(法学)取得。専門は、国際法、国際人権法。国際人権法学会理事長、日本平和学会理事、世界法学会理事などを歴任。現在、青山学院大学法学部長・ヒューマンライツ学科教授、同大学院法学研究科長。近著に『国際人権入門』(岩波新書)
東大作
東北大学経済学部卒業、ブリティッシュコロンビア大学で修士号および博士号(政治学)取得。専門は、和平調停や平和構築を中心とする国際関係論。NHKディレクター、国連アフガニスタン支援ミッション(カブール)和解再統合チームリーダー、東京大学大学院准教授、国連日本政府代表部公使参事官などを歴任し、現在は上智大学グローバル教育センター教授(国際関係研究所、人間の安全保障研究所を兼務)。近著に『ウクライナ戦争をどう終わらせるか』(岩波新書)