ひろば

【徹底議論】「平和構築」のためのリアル
ウクライナ戦争時代の「人権」を問う
第1回 国連や国際法は無力なのか、和平調停に活路は開けるか
申惠丰青山学院大学教授(国際法学)×東大作上智大学教授(国際政治学)【2023.5】

長引くウクライナ戦争と各国で進む軍事拡張。戦争終結のための糸口はどこにあるのか。国連はいまだ世界の安全保障の要となれるのか。軍事ではない方法で、日本はいかに世界の平和に貢献できるのか。岸田政権が進める大軍拡へのオルタナティブを構想するために、青山学院大学教授の申惠丰さんと上智大学教授の東大作さんの対談を連載します。第一回目は、和平交渉の現実と国連のポテンシャルを問い直します。

 

第1回 国連や国際法は無力なのか、和平調停に活路は開けるか

第2回 戦争犯罪と和平交渉のジレンマ、武力や経済制裁の限界

第3回

 

ウクライナ戦争をどう見るか

 

――東さんは『ウクライナ戦争をどう終わらせるか――和平調停の限界と可能性』(岩波新書、2023年)を出版されました。今のお考えをお聞かせください。

 

 

 この本のサブタイトルは「和平調停の限界と可能性」なのですが、まず限界というのは去年(2022年)の3月29日にトルコの仲介で行われたウクライナとロシアの和平交渉が頓挫したということです。後のアメリカ政府関係者の話によると、少なくともウクライナとロシアの協議団の間では、ウクライナ側が提案した次の4点で合意していました。

 

  1. 2022年2月24日の侵攻前の国境までロシア軍が撤退する
  2. クリミアやドンバスの一部地域については、戦争が終わってから別途15年ほどかけて協議する
  3. ウクライナはNATO(北大西洋条約機構)に入らないし、NATOの基地も置かない
  4. ロシアも含めたヨーロッパにおける新しい安全保障の枠組みを作り、こういう戦争が二度と起きないようにする

 

当時の報道を見ると、ロシア側はこれならプーチン氏も「特別軍事作戦」によってウクライナがNATOに加盟しないという確約を得たので目的は達成したと国内的に言えると評価していました。他方、ウクライナ側も2月24日のラインにまで一旦押し戻したことで勝利したと言える。双方が勝ったと言える現実的な内容で、実際にロシア軍はキーウ周辺から北方戦線については撤退しました。しかし、その後キーウ近郊のブチャでロシア軍による民間人の殺害が発覚し、当時のイギリスのジョンソン首相やアメリカのバイデン大統領がこれは戦争犯罪であってプーチン氏の責任を問わないといけないとSNSやメディアで発信しました。これを受けて、プーチン氏は交渉を打ち切ってしまった。ですから、悲惨な戦争を一刻も早く、しかもウクライナの人々はもちろん、双方が受け入れられる形で終わらせるのは容易ではありません

 

ただ、このまま延々と戦争を続けるのは危険な選択です。ひとつ間違ってロシアが核兵器を使えば西側が対抗して世界大戦になってしまうかもしれませんし、ロシアのミサイルがポーランドなどNATO加盟国に落ちてしまったらアメリカは軍事介入すると言っていますので、これも世界大戦になるおそれがある。今回の戦争はこれまでの地域紛争と違って、いつ核を伴う世界大戦になるかわからない戦争でもあるので、やはり少しでも早く終わらせるという考え方は大事です。でもそのときに、6千発の核兵器を持つロシアから軍事作戦のみで「無条件降伏」を勝ち取るのが現実的に難しいとすれば、どこかで両者が合意しないと戦争は終わりません。では、両者が納得できる線は何か。私は去年一旦合意しかけた3月29日の提案がそのひとつの土台になると思います。その意味で、和平交渉の可能性を捨てることはできないということです。

 

――申先生は国際法をご専門としておられますが、その観点から今回のウクライナ侵攻をどう見てらっしゃいますか?

 

 

 まず、安保理(国連安全保障理事会)で本来、安全保障に主要な責任を持つべき常任理事国がみずから侵略戦争を起こしてしまっていることの重大さは本当に強調してもしきれないと思います。こういうときに国際法に何ができるのかというのは、大きな課題として当然あります。そのうえで、国際法の無力さに失望したとか、国際法は結局守られないじゃないかと、国際法だけを見た議論には、欠けているものがあると思います。というのは、国際社会における「法の支配」は各国の国内における「法の支配」と緊密に結びついているのです。プーチン政権になって以来この20年間、ロシア国内では、チェチェン紛争を批判するジャーナリストが暗殺され、人権団体が弾圧され、国内法もどんどん改悪されて、身の危険なくしては政権を批判できなくなってきました。ロシアの国内法でも侵略戦争はいけないということはしっかり規定されているのですが、当然プーチン大統領には適用されません。ロシア国内で「法の支配」が形骸化しているのです。ですから、この20年間プーチン政権がやってきたことのなれの果てがウクライナ戦争である、ということをまず見なければなりません。

 

今回プーチンはウクライナの抵抗を過小評価したと言われています。ロシアの中で政権に情報を上げる人たちがプーチンの喜ぶことしか言わない、不都合な情報が上がってこない。その結果、全体を見る目が曇ってしまったということが指摘されています。これも専制主義体制に特徴的な脆さです。

 

いま、国連や国際法の役割とは

 

――国連や国際法は無力だという声も聞かれます。

 

 国連や国際法の無力さについて言えば、安保理の常任理事国には拒否権が与えられているため、これらの大国がみずから侵略したときには国連は止めきれないという点は確かにあります。今回は常任理事国のロシアが侵略していて、安保理決議を通そうとしてもロシアが拒否権を行使するので当然通らない。しかし、もし安保理決議が通ってロシアに撤退しなさいと言ってもロシアが撤退しなかったら、安保理としてはもう次に行動を起こさなければいけなくなるので、そうすると多国籍軍がロシアと戦うことになって世界大戦になります。つまり、安保理の拒否権は、ある意味で今回のような事態がそのまま世界大戦につながらないように、つまり第三次世界大戦を防ぐために作られた部分もあることは押さえておくべきだと思います。

 

そのうえで、今回安保理が機能しないとわかった後、ロシア軍がウクライナから即時撤退すべきだという国連総会決議が世界141カ国の賛成で成立したことは非常に意義があります。20数カ国の棄権はありましたが、決議に反対したのはロシアを含めてわずか5カ国です。いま世界はまだ55%ぐらいが非民主的な国家と言われていますが、そうした国々もこの決議に賛成し、ロシア軍は撤退すべきだと言っています。これは、他国に勝手に攻め込んで、領土を増やしたり傀儡政権を作ったりしてはいけないという国際ルールとして一番大事な点について、統治体制を問わず広く合意があることを国連総会決議という形で具体的に示せたということです。ここに国連のひとつの役割があります。ロシアが大義のない戦争をしているとほぼ世界全体の合意として示せた点は、長い目で見てこれから撤退に向けて動いていくときに非常に重要です。ですから、国連の役割が全くなくなったわけではないと私は考えています。

 

もうひとつ、戦争中にいろんな人道被害を被っている人たち、戦争によって生きていくことすら難しくなった人たちに食料や水を届けるというのはやっぱり国際機関じゃないとできないところもあります。そういう人道支援、戦争が終わるまで生きながらえることを支えるのも国際機関の役割です。そうした事実に基づいて国連の意義をみんなで認識する必要はあると思います。

 

 

 安保理の拒否権についてもそのとおりだと思います。今回ロシアがいるために安保理の決議は採択できない状況ですが、他方でロシアを安保理や国連から放逐しようという話になると、それでいいのかという問題になります。仮にロシアを国連から放逐しても地上からいなくなるわけではありません。ロシアを巻き込んだ形で安全保障を考えていかないといけない。ロシアを排除すればそれで済む話ではないのです。国連安保理の体制含め、今後の体制を考えるという大きな宿題があると思います。

 

また和平調停の可能性について、少なくとも昨年2月24日以前の国境線にロシア軍が撤退することで合意することが一番現実的だと私も思います。そのときに、先程のブチャの虐殺のようなことはもちろん重大な国際人道法違反で追及しなければならないことです。ただ、そういう戦争犯罪や人道に対する罪を実際に処罰するまでには非常に時間がかかります。裁判過程に乗せるためにはきちんと捜査をし、記録にとって、それを裁判の過程で立証してから判決を下す必要があります。これは何年もかかるプロセスなのです。しかし、その戦争犯罪の責任が確定するまで和平しないというわけにはいきませんので、戦争犯罪の追及はしっかり行っていくとして、まずはできる限り早期に和平調停を試みて、全面的な破壊が続いているいまのウクライナ戦争を止めなければいけないと思います。

 

 

(まとめ・構成 塩田潤)

(写真 川村拓希/デザイン 伊勢桃李)

 

 

申惠丰

青山学院大学法学部卒業、東京大学で修士号(法学)、ジュネーブ国際高等研究所でDES(国際法)のち東京大学で博士号(法学)取得。専門は、国際法、国際人権法。国際人権法学会理事長、日本平和学会理事、世界法学会理事などを歴任。現在、青山学院大学法学部長・ヒューマンライツ学科教授、同大学院法学研究科長。近著に『国際人権入門』(岩波新書)

 

東大作

東北大学経済学部卒業、ブリティッシュコロンビア大学で修士号および博士号(政治学)取得。専門は、和平調停や平和構築を中心とする国際関係論。NHKディレクター、国連アフガニスタン支援ミッション(カブール)政務官、東京大学大学院准教授、国連日本政府代表部公使参事官などを歴任し、現在は上智大学グローバル教育センター教授(国際関係研究所、人間の安全保障研究所を兼務)。近著に『ウクライナ戦争をどう終わらせるか』(岩波新書)