【徹底議論】「平和構築」のためのリアル
ウクライナ戦争時代の「人権」を問う
第2回 戦争犯罪と和平交渉のジレンマ、武力や経済制裁の限界
申惠丰青山学院大学教授(国際法学)×東大作上智大学教授(国際政治学)【2023.6】
ウクライナ戦争が突きつける戦争責任と和平交渉の厳しい現実。それと向き合いながら、分断が進む国際社会をいかに紡ぎなおすことができるのか、そのときに私たちにはどのような視点が必要になってくるのか。青山学院大学教授の申惠丰さんと上智大学教授の東大作さんによる、国際平和をつくるための方途を探る対談、第二回目の連載です。
第1回 国連や国際法は無力なのか、和平調停に活路は開けるか
第2回 戦争犯罪と和平交渉のジレンマ、武力や経済制裁の限界 |
戦争犯罪をいかに問うか
――戦争犯罪というものに向き合ってこられたお二人から見て、今回のウクライナ戦争における責任、特にプーチン大統領の責任をどう捉えるのかという点についてお聞かせ頂けますか。
東 これは本当にセンシティブな問題です。かつてとは違い、いまはどの国も戦争犯罪にとても気を使うようになっています。民間人の犠牲を減らさなくてはならないという意識が広がってきたという意味でこれは進展です。ただ、軍人なら殺してもよいかというと、そういうことにはならないと私は思います。その意味で、今回の戦争については、それを決断して司令を出したプーチン氏の戦争責任は自明です。
一方で、今回の和平合意の条件に、プーチン氏が権力の座にいる間でも国際法廷で彼を起訴することを入れてしまうと、彼が合意に応じることはないと思います。でもだからといって、彼を起訴したり逮捕したりしなくてよいというのは不正義ではあります。なので、起訴・逮捕の条件を付けてプーチン氏が合意に応じるまで戦争を続けるか、一旦戦争を終わらせた方がよいと思うか。この決断は非常に難しいところです。歴史的には、大国が小国に一方的に軍事介入をしたときには、小国は自分たちの領土を回復することを当面の最大目標とし、大国を撤退させたら一旦戦争を終えるという戦略をとってきました。国家間戦争も内戦も何を優先するかを選択しなければならないときがあります。もちろん、どうするかはウクライナの人たちの判断ですが、同時に国際社会としてどう考えるのかということで言えば、私はやっぱりまず戦争を終結させる必要があると思います。そのうえで、きちっと戦争犯罪の真相を究明することから始めるべきです。現実主義者のようで少々お恥ずかしいですが、そうした現実の中で戦争犯罪の問題を乗り越えていかなくてはなりません。
申 本当に難しいですよね。ICC(International Criminal Court: 国際刑事裁判所)の画期的なところは、いかなる公的地位にも関係なく訴追対象になるというところです。そこにはちゃんと理由があって、権力者ほど大規模な犯罪を犯すことができるからです。権力機構を動かしてジェノサイドや人道に対する罪を犯すのは権力者ばかりです。今回、実際にプーチン大統領に逮捕状がでました。ロシアは侵略の罪については非締約国ですから管轄が及ばないので、今回はウクライナの子どもたちをロシアに強制移送したという容疑です。ICCに入っている国には協力義務がありますから、もし彼がそうした国に行った際には彼の身柄を引き渡すという話にもなりかねません。この意味で大国の指導者に逮捕状がでたことは画期的なことです。一方で、これはプーチン氏が何としても権力にしがみつくモチベーションを与えてしまったという側面もあるとは思います。
それと、プーチン大統領は当然起訴されるべきですけれど、彼の訴追を和平の条件にするというのは私も非現実的だと思います。旧ユーゴの内戦などでもそうでしたが、現実的には彼が権力の座を退いたときに罪を問われるというのが一番考えられるパターンだろうと思います。
「グローバルファシリテーター」とフェアな視点
――ウクライナ戦争によって国際社会はこれまでとは異なる局面になったと思いますが、そうしたなかでも平和の可能性を探っていくためにどのようなことが重要になるでしょうか。
東 短期的にできることと、長期的に目指していくべきことがあると思います。短期的には、やはりロシアがいまのように侵略しているなかでは、国連が一致して世界各地の紛争調停のために動くのは難しいのが現実です。ですので、当面は紛争地域の周辺国や関係国が仲介や交渉調停をやっていくしかないと思います。そのときに、日本も和平調停や平和構築の仲介役としての「グローバルファシリテーター」という役割を果たせると思いますし、実際にこれまで日本は少なからずその役割を担ってきました。例えば、IGAD(Inter Governmental Authority on Development:政府間開発機構)という東アフリカの地域機構があります。南スーダンで内戦があったときにそこが仲介をして和平交渉を進めていましたが、日本はこのIGADの仲介を2017年ぐらいから財政的に支援し、結局2018年9月に和平合意に至りました。その後も南スーダンの橋づくりや水道整備など、インフラ支援を根気強く続けています。このように日本は海外での支援については、中東やアフリカで非常に評価されています。こうした経験や立場を活かして、大国がまとまってできなくなってしまっていることを日本がバックアップする、場合によっては地域機構と一緒に作業をやっていくというのが、これからの日本の新たな役割になってくるんだと思います。
長期的には、なんとかロシアのこの戦争を終わらせて、もう一度「領土を侵さず国家主権を尊重する」といった大原則を共有し、実現するための国連の体制、枠組みを作る努力をしなければならないと思います。
申 まったく同感です。他国の領土保全を武力で侵すことは禁止されているという国連の大原則にまずは立ち返るべきです。つまり、ロシアの今回のウクライナ侵攻はあくまで違反であるという法的評価をしなければなりません。
他方で、私が指摘したいのはその大原則を破ってきたのはロシアだけでなく、西側諸国、アメリカも散々やってきたわけですし、日本も加担してきた面もあるということです。ベトナム戦争にせよイラク戦争にせよ、まったく正当化できない大国の一方的な武力行使に対して、日本は同盟国であるアメリカのやることには異を唱えてこなかった。そういうダブルスタンダードがあっては、ロシアに対する違反の主張も弱くなってしまいます。なので、日本も含めて大原則にきちんと立ち返り、自らの襟を正す。国際法違反については自国の友好国であってもきちんと指摘をするという、本当に基本的なことですけどそういうことをしていかないと結局、国際社会が分断されてそれぞれの陣営がそれぞれの陣営の見方から話しているだけになってしまいかねません。
東 同感です。2003年のアメリカによるイラクへの軍事侵攻は、ネオコンと呼ばれる人たちの幻想に基づくものでした。つまり、アメリカが軍事介入してサダム・フセインの独裁政権を倒し民主化すればイラクの人たちはハッピーだし、それでイラクが親米国家となればアメリカにとってもハッピーだし、もしかしたらそれが民主化のドミノになって世界中に波及すれば世界的にもハッピーだという幻想のような考え方に乗って、イラク侵攻を始めたのです。しかし、それだけでは軍事侵攻の説明としては大義が得られない。そこでイラクが大量破壊兵器を持っているという理由を付けて侵攻を行いましたが、結局、大量破壊兵器を持っていたという証拠は見つからなかった。つまり、根拠なく軍事侵攻したわけで、当時の国連事務総長であったコフィ・アナンはあれも国際法違反だったと後で明言したわけです。
武力では解決できない
――いまのウクライナを見ても、戦後の西側諸国が行った戦争を見ても、軍事侵攻で状況を変えようという動きはあまりうまくいっていないように思います。
東 イラクでは度重なる内戦ですでに50万人ほどが亡くなっていて、アメリカは撤退し、現在は親イラン派の政権つまりアメリカの敵国に非常に近い政権になっているわけです。ですから、元々の目的をまったく達成できていないわけで、軍事的に他国に介入して無理やり変えようというのは相当難しいことはこれまでの経験則として明らかになっています。
また、アメリカの軍事侵攻については国内からも批判的世論が巻き起こりました。そのため、アメリカがこの20年間ぐらいとってきた方法が「経済制裁」です。2018年以降もイラン、ベネズエラ、アフガニスタンなど、米国が敵とみなす体制に次々と経済的な制裁をかけてきました。しかし、これもうまくいっていない。なぜかというと、何のための制裁なのかがはっきりしていないからです。制裁をかけられる方も何をしたら制裁が解除されるかわからないのでどうしようもないわけです。同時に、いつどんな理由で制裁されるかわからないということで、第三世界の国々からすると西側諸国への不信感は高まります。ここでも理由がはっきりしないままに強制力を用いて他国に介入し、何かを変えようとするのは難しいことがわかります。だからこそ、国境を超えた人と人の対話やコミュニケーションを続けていくというのが決定的に大事になってくるのだと思います。
申 専制的な国がみんな侵略戦争をするわけではない、ほとんどの国は原理原則を守っているということをまず確認したいと思います。逆に、アメリカが典型的ですが、民主主義国家が自身の正義感から軍事介入することは非常に厄介です。彼らは目的を達成するまで延々と戦い続けることになりかねないからです。私の見るところ、人道や人権を目的にした軍事介入というのは惨憺たる悪循環の歴史です。イラクについて言えば、イラク戦争からIS(イスラム国)が生まれたというのはもう定説です。
リビア紛争への介入の際には「保護する責任」という概念が用いられました。元々はルワンダのジェノサイドを国際社会が防げなかったというところから考え出されてきた概念です。「保護する責任」は人道危機を事前に防ぐ責任、事態が起きたときに対応する責任、介入後の再建する責任というように人道危機に対するトータルな介入を考えます。リビア紛争の際にこの概念が初めて適用され、当時のカダフィ政権による残虐行為から人々を守るという名目で国連安保理決議が採択されたのを受けて、NATO諸国がリビア空爆を行いました。しかし、結局それは単なる軍事介入に過ぎなかったのです。カダフィ政権がいなくなったからよかったという素直な意見もあるでしょうが、その後のリビアの再建をどうするのかについて誰も責任を持って考えていないし、対応もしていない。実際、リビアではその後もう無茶苦茶の内戦状態になって武器が流出し、今に至るまで、アフリカからヨーロッパに渡ろうとする難民たちが捕まって奴隷として売られてしまうようなことが横行する国になってしまっています。
やはり外国が武力で一国の体制を作るなんてできるわけがないんです。武力は破壊を行うことはできますが、再建ができないからです。こうしたこれまでの惨憺たる歴史に学んで行かなければなりません。
(まとめ・構成 塩田潤)
(写真 川村拓希/デザイン 伊勢桃李)
申惠丰
青山学院大学法学部卒業、東京大学で修士号(法学)、ジュネーブ国際高等研究所でDES(国際法)のち東京大学で博士号(法学)取得。専門は、国際法、国際人権法。国際人権法学会理事長、日本平和学会理事、世界法学会理事などを歴任。現在、青山学院大学法学部長・ヒューマンライツ学科教授、同大学院法学研究科長。近著に『国際人権入門』(岩波新書)
東大作
東北大学経済学部卒業、ブリティッシュコロンビア大学で修士号および博士号(政治学)取得。専門は、和平調停や平和構築を中心とする国際関係論。NHKディレクター、国連アフガニスタン支援ミッション(カブール)政務官、東京大学大学院准教授、国連日本政府代表部公使参事官などを歴任し、現在は上智大学グローバル教育センター教授(国際関係研究所、人間の安全保障研究所を兼務)。近著に『ウクライナ戦争をどう終わらせるか』(岩波新書)