ひろば

【徹底議論】「戦争回避」のためのリアル 第1回
軍事力の「例外拡大」の果て、「専守防衛」は無意味に
柳澤協二元内閣官房副長官補(安全保障担当)×石田淳東京大学教授(国際政治学)【2023.3】

昨年12月の安保3文書の改定によって、日本の安全保障は大きな岐路に立っています。いま起こっている安全保障の「歴史的大転換」をどう考えればいいのか。日本は本当に「戦争する国」になってしまうのか。戦争の危機が迫る時代に、どのように戦争を避けることができるのか。元内閣官房副長官補の柳澤協二さんと東京大学教授の石田淳さんによる対談を全3回に分けて掲載します。

 

第1回 軍事力の「例外拡大」の果て、「専守防衛」は無意味に

第2回 軍事力の負の効用を直視し レッドラインの相互認識を

第3回 米中戦争を避ける、立憲デモクラシーの自己決定力

「歴史的大転換」の意味

 

――安保3文書の改定は「歴史的大転換」と言われていますが、お二人から見て注目すべきポイントはどこでしょうか。

 

柳澤 まず、安保3文書をどう見るかということで言えば、戦争の危険が高まっているという現状認識のもとに、戦争に備える、もっと有り体にいえば「戦争できる国」にするという体制転換が目指されているという意味で大きな転換だと思います。

 

いま国際情勢は大きく変わっています。冷戦のときはアメリカとソ連の二極体制のなかで大国間の対立関係があったけれども、相互核抑止によって安定していた。そこから冷戦が終わり、アメリカ一強という状況になり、いま改めてアメリカにチャレンジする国として中国が現れてきた。そういう大国間の不安定な対立関係が戦争の直接の要因になるかもしれないというのがいまの国際情勢の大きな特徴だと思います。そうしたなかで、今回改定された安保3文書では、安全保障の目標も「自由で開かれた国際秩序を守らなければいけない」というようなアメリカ主導の秩序を守ることが最上位の目標に置かれています。そして、このアメリカ最上位の秩序を壊そうとする中国を封じ込めなければいけない、という発想が安保3文書の改定のベースにあるんです。

 

戦争の心配がある時代だと私も思います。しかし、だとすると戦争に結びつかない形で大国間の対立をどう管理するか、あるいはその狭間で日本がどう戦争に巻き込まれないようにするか、そういう問題設定をしなければいけない。

 

 

石田 今回の安保3文書改定について、私にとっては予想通りのところと、おやっと思うところがありました。予想通りのところは、今回の改定でも「日本の防衛の基本方針を変えるものではない」つまり「平和国家としての専守防衛の原理原則は堅持する」と政府が確実に強調するだろうと思っていました。これまでも原則は維持するとしながら、次から次へと例外を拡大してきたという経緯があったので。他方で、私がおやっと思ったのは、この国家安全保障戦略のなかに出てくる文言として、防衛力の抜本的強化(反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有等)によって「予見可能性の高い国際環境」を創り出す、それが日本の安全に資するという一節です。これには全く同意できないと思いました。

なぜ世論は防衛力強化を受け入れるのか

 

――世論調査などを見ると、今回の防衛力強化を世論は受け入れているようにも見えます。

 

石田 日本はロシア、中国、北朝鮮という国に囲まれていて、それぞれに軍事行動や軍備拡張が見られる非常に厳しい環境に置かれているので、政府としては日本の国民の生命や領土などを守るためには敵基地攻撃能力を含めた装備が必要であるとか、中国の軍事予算の急激な拡大は脅威であるとか、このように政府は説明しています。こういう説明をすれば、国民からすれば、それでは防衛力の強化をぜひお願いしたいという反応になると思うんです。

 

ところが、そうした政府の示す処方箋を実際にとることによって、いかなる事態が生じるのかという見通しについては今回の3文書は非常に曖昧です。例えば、計画を実行すれば軍備競争が激化することはほとんど必至だと思いますが、いまよりもさらに高いレベルでの軍備競争に勝ち抜けるという見通しがあるのか。また、軍備競争が起これば互いに対する不信感が高まり、一触即発の状況になりうる。そして、一触即発の状況になったときに使える装備があればますます危ないわけです。そうしたところをどう考えているのかという議論がなければいけません。ただ、いまの政府による一面的な説明を聞く限りにおいて、世論として肯定する意見が多いというのは自然なのではないかと思います。

 

 

柳澤 石田さんの言われたように、専守防衛の原則は変わらないと強調することが政府の国民世論への説得のロジックになっているのかなと思います。つまり、現状維持だということが安心材料になっている。同時に、世論の受け入れは、ウクライナのように戦争が目の前で起きている。隣にはミサイルを撃つ国がいる、台湾を巡って緊張が高まっているという今日の状況を反映しているんだろうと思います。けれども、政府のあの論理だけで説得されきっているとも思えないんですね。だから何か違う要素、世論自体の変化があるのかもしれません。それは、岸田首相が繰り返し述べてきたように「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」という恐怖がある。もうひとつは、勧善懲悪的な感情が含まれている感じがするんです。いずれにしてもそこは論理の世界ではないわけです。

 

石田 確かにウクライナでの戦争はもちろん、中国の台湾や香港に対する姿勢への不安、プーチンの力による現状変更を黙認してしまっては秩序がもたないという感覚もあるんだと思います。他方で、これで政府が国策を誤った場合に、それによって自分自身や自分の家族、友人がまったく納得のいかない理由で戦争の犠牲者になるかもしれないというような感覚は極めて希薄なんじゃないかとも思います。

 

柳澤 うん、やっぱり80年近く戦争の経験がないなかで、戦争に対してまったくリアリティを持って認識できていないように思います。防衛研究所の専門家も戦争のリスク評価がまったくできていない。戦争というのは感情的な要素もすごく大きいけれども、自分たちが被る被害も生半可なものではない。そうやって戦争をトータルに認識できていないんだろうと思います。

 

 

例外の拡大による専守防衛の形骸化

 

――実態が失われても、「専守防衛は維持する」と政府が述べているところに、ある種の安心感を感じる部分もあるということですね。

 

石田 専守防衛については、もう40年以上にわたって『防衛白書』に明記されてる定義があります。それは「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」というものです。前提としては、自衛権の発動のためのいわゆる旧3要件(1954年)というものがあります。まず、急迫した危害が国家に加えられるという違法性要件、次に危害除去に必要な限度でなければ実力行使しえないという均衡性要件、そして危害を除去するために他に取る手段がないという必要性要件です。この範囲内に限って自衛権を発動するし、それを前提として防衛力を整備するというのが専守防衛の基本的な考え方です。

 

ところが、自衛のための必要最小限の防衛力については1960年代から、たとえば首相であった池田勇人が「国内、国情あるいは世界情勢、科学技術の進歩等」の文脈に依存すると言っていました。そうして専守防衛原則の例外の範囲がその後じわじわと拡大していったわけですが、例外が拡大するたびに政府は「平和国家として専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とならず、非核三原則を堅持するとの基本方針今後も変わらない」という決り文句を述べてきたんです。原則として日本は武力行使を行わない。ただ、その例外として3要件が満たされたとき、特に重要なのは外から攻撃があったとき(違法性要件)に武力行使するということです。ただ、その例外がどんどん拡大してきた。問題は、例外を厳格に限定せずに専守防衛という原則は変わらないと繰り返すことに何の意味があるのかということです。

 

 

柳澤 昔から防衛議論では、ポジティブリスト(やっていいこと)とネガティブリスト(やってはいけないこと)の議論があります。いまの話なんかは、ポジティブリストで書いてたらどんどん増えていっちゃったので、ネガティブリストにしようみたいになっている。いまの専守防衛の議論でいうと、安保3文書を読んでも、首相の国会答弁を聞いていても、そこで禁止されているのは先制攻撃だけのように思える。つまり、最初の一発目は仕方ない、しかしあとはもう自衛権発動の世界だと。そうすると本当にミサイルの撃ち合い、国力をあげた戦争になってしまう。それは向こうが先にやったから仕方がない、では済まないんです。それが専守防衛の範囲といわれると、ちょっとおかしいんじゃないかと思います。相手の力を考えるとこれだけは仕方ないといってポジティブリスト―石田さんのいわれる例外―を増やしていくと最後は核まで行き着きます

 

相手がこちらの力を恐怖するから抑止になるのであって、それはアメリカ軍の存在意義だと思われてきた。今回の議論では日本が反撃能力(敵基地攻撃能力)を持つことで、それが抑止力になるという言い方をする。日本が抑止力を持つという説明の論理は、もう専守防衛の概念とは違ってきます。いままでは、アメリカ軍が抑止力であり、専守防衛の日本は少なくともそういうものは持たないということでした。しかし、いまや日本もそういう力を持つと。そして、岸田さんはアメリカに頼らなくていいようになると言っている。ここまで来れば専守防衛とは言えません

 

(まとめ・構成 塩田潤)

(写真・デザイン 伊勢桃李)

 

 

柳澤協二

1970年東京大学法学部卒とともに防衛庁入庁、運用局長、人事教育局長、官房長、防衛研究所長を歴任。2004年から2009年まで、小泉・安倍・福田・麻生政権のもとで内閣官房副長官補として安全保障政策と危機管理を担当。現在、新外交イニシアティブ(ND)評議員、NPO国際地政学研究所理事長。

 

石田淳

1985年東京大学法学部卒業、シカゴ大学で博士号(政治学)取得。交渉による紛争の解決、平和共存など、外交や国際秩序の諸課題に関する理論的な研究を専門とする。日本平和学会会長、日本国際政治学会理事長、国際法学会理事、東京大学大学院総合文化研究科長・教養学部長などを歴任。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。