ひろば

自己責任を強いるこの国の公助のお粗末さ
つくろい東京ファンド 小林美穂子【2023.11】

「公助は反社に負けていて、共助は貧困ビジネスに負けている」

衝撃的だが実に核心をついているこの言葉は、つくろい東京ファンドの同僚佐々木大志郎が発した言葉だ。彼はコロナ禍以降、SNSを活用して生活困窮に陥る若者たちに向けてあらゆる方法で声を届け、日夜問わず対応し、その状況を作り出す社会構造と向き合ってきている。生活困窮者支援の最前線を走る彼の言葉に、私はぐうの音も出ない。まったくもってその通りだからだ。

一般社団法人「つくろい東京ファンド」は、中野区を拠点に「ハウジングファースト」という理念のもと、2014年から生活困窮者の住まいとその後の生活を支えてきた小さな、小さな団体だ。

住まいの無い状態にあった人を当団体の個室シェルターに入所してもらい、生活保護を申請し、それまでに失くした住民票を探し、銀行口座、携帯電話や身分証明書を作るのを一緒に手伝い、アパート探しを手伝い、一人暮らしにつなげる。

失業、孤独、ひきこもり、依存症、知的や精神疾患、軽度認知症、刑余者、暴力被害者、一人ひとりが抱える困難は多岐に渡り、部屋が整ったからと言って順風満帆にことは運ばないから、福祉事務所や協力団体、クリニックと協働してその後の困りごとにも対応する。そんなだから活動の内容は幅広く、役所との交渉や手続き、病院同行、話し相手、部屋の掃除、買い物補助、居場所と就労の場であるカフェの運営等々。地域で暮らす利用者さんたちとの日々は、トラブルも多いがユーモアは更に盛り沢山で、私たちは忙しいながらも結構充足していたのだ。ところが、コロナがやってきて私たちの活動内容は一変する。

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新型コロナウィルスは最も脆弱な立場に置かれている人達を直撃した。小池百合子知事は「三密を避けよ」と繰り返し、安倍元首相は星野源の歌声に乗せてぎこちないステイホーム動画をアップして、そうでなくてもウィルスの恐怖と、先行きが見えない不安に苛まれる人々の気持ちを逆撫でし、イラッとさせた。

緊急事態宣言下、私たちのところにはステイする「ホーム」すらないネットカフェ生活者たちからの相談が相次いで、私たちは東京中を駆け回ることになった。路頭に迷ったネットカフェ生活者は若者が多かった。これまでアルバイトや非正規、日雇い労働などで必死に食いつないで来た人達だ。

そんな彼らがコロナで仕事を失い、寝る場所も追われて役所に助けを求めると、「最後の砦」とも呼ばれる福祉事務所に虚偽の説明をされて追い返された。災害と言ってもいいほどの事態に見舞われて尚、福祉事務所はあまり機能していなかった。当時の様子は「コロナ禍の東京を駆ける(岩波書店)」で読んでいただければ幸いである。

そんな2020年9月、菅義偉元首相は「自助・共助・公助、そして絆」を政策理念として掲げた。なんというか、もうヘトヘト過ぎて憤死するだけのエネルギーもなく、「すげーな」という言葉しか出なかった。この国は市民を一体なんだと思っているのだろうか。

自助も共助もとっくに限界を超えているのに、頑張り限度を引き上げすぎだ。なにが「そして絆」だろうか。

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コロナ禍で浮き彫りになったのは、ネットカフェを住まいにしている若者だけではなかった。非正規滞在の外国人や、日本に逃れてきた難民の存在だ。命の問題に国籍は関係ない。私たちの支援対象はどんどん広がることになった。数人で回している小さな団体に、抱えきれないほどのSOSが舞い込む。「助けてくれぃ!」と、こちらが叫びそうになるが、所持金も寝る場所もなく憔悴しきった人を前にして、そんなことはとても言えない。

「外国人と生活保護」の研究をしていた同僚の大澤優真は博士論文を書きあげると、日本にいる外国人の支援を始めた。村田結はアパート生活を始めた人達のきめ細やかな支援に朝も夜もなく奔走していた。界隈で「つくろいのオードリー・タン」と笑い混じりで呼ばれる佐々木大志郎は、携帯電話無料貸出しや生活保護自動FAX申請システム等々、手品のように多様な支援ツールを打ち出した。彼の取り組みはあまりに沢山あるのでここでは紹介しきれないのが残念だ。代表の稲葉剛は止むことのないSOSに対応するためにアパートをどんどん借り上げていったし、私は稲葉と一緒に生活保護の最も高いハードルである扶養照会を無くすために調査をし、発信や署名運動、厚労省申し入れなどを重ね、国会でも取り上げられたことなどから、2021年の春に扶養照会の運用が改善された。

活動が多岐に渡りすぎて、もはや収拾がつかない。何の団体なんだか、自分たちでも分からなくなりつつある。吹けば飛ぶような小さな団体が、何でこんなことになっているかと言えば、それは国がやらないから。その一語に尽きる。

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日本経済の落ち込み、雇用形態の変化、新型コロナウィルスのトリプルパンチに次いで、光熱費や、小型化するだけでは耐えきれなくなった食品の値上げが続いている。過去30年給与が上がらないこの国で、生きることの過酷さは極まっている。それなのに「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するはずの生活保護費は段階的に削られ続け、もはや「健康で文化的な」の部分はお飾りでしかないような状況だ。

コロナ禍以降、炊き出し現場や食料配布の現場には、背広姿の男性や、学生や、子ども連れ、外見からは生活困窮しているように見えない人達も並ぶ。「俺たちみたいなのは今やマイノリティ」と路上生活者が笑う。

国や自治体は、非課税世帯を対象に給付金を突発的に出してみたり、米や調味料を配布したりもしているが、どれも場当たり的と言わざるを得ない。そんなことで、つじつまは合わない。物価高騰に合わせ、最低賃金や生活保護費を上げるのが筋ではないだろうか。

いい加減に公助のやる気を見せて欲しい。日本の生活保護の捕捉率はたった2割程度だ。生活保護にも満たない収入で暮らす人達がたくさんいる。貧困の問題を、自助や共助に丸投げするのだとしたら、国は何のために存在しているのだろう?私たちが払っている、決して安くはない税金はどこに行っているのか?教えてほしい。