ひろば

「維新」とは何か
大阪地方自治研究センター 山口勝己【2023.11】

はじめに

日本維新の会の前代表で大阪市長であった松井一郎の政界引退に伴い、新代表に選出された衆議院議員・馬場伸幸は、就任直後から本格的な全国進出を掲げ、次期総選挙で野党第一党を、今後3回以内の総選挙で政権奪取をめざすと公言し、息巻いている。

本稿をご覧の皆さんの多くは、大阪だけの現象と思われてきた「維新」が国政で台頭してくることに危機感を募らせておられることだと思う。一方で、「維新」という政治団体がいかなる政治思想や政策を持つものであるのか、いまひとつ理解できないと感じておられる方も多いのではないだろうか。

日本維新の会の母体ともいえる大阪維新の会が結成されたのは2010年4月で、既に13年半が経過する。その看板政策である「大阪都構想」が初めて報道されたのは同年1月であった。私たち大阪地方自治研究センターは、政令指定都市・大阪市の廃止・分割を主内容とする都構想の提唱に危機感を持ち、「大阪の自治を考える研究会」を自治労大阪府本部とともに発足させ、以来13年以上にわたって都構想に批判を加えるとともに、大阪における維新の会の動向について分析と批判を重ねてきた。今回、その活動の蓄積をもとに『「維新」政治と民主主義』(公人の友社)を上梓した。

本稿では、この作業を通じて改めて気づいたことを中心に、「維新」とは何かについて私なりの考察を述べてみたい。本稿は紙幅の関係から、結論めいたことを断定的に記述せざるを得ないが、「維新」の本質はその言動の細部を追わないと本当のところは分からない。本稿を読んで興味を持たれた方には、ぜひ拙著にも目を通していただきたい。

なお、ここで「維新」とは大阪維新の会及びその国政政党である日本維新の会が展開する政治活動全般を表現する言葉として使用する。

「維新」現象と「維新」政治を区別する

「維新」とは何かを考える場合、「維新」現象と「維新」政治は区別して論じられなければならない。「維新」現象とは言うまでもなく、新興の政治勢力であった維新の会が多くの支持を得ている政治現象をさす。当初、橋下徹という特異な政治家の個人的人気に支えられていると思われた「維新」現象であるが、橋下や盟友の松井一郎が政界を引退しても、その人気は現大阪府知事・吉村洋文や「維新」という政党ブランドに引き継がれ、今も高い支持率を維持している。

一方、「維新」政治とは大阪維新の会による政治の実績である。「維新」政治には二つの側面がある。ひとつはキャッチフレーズにごまかされてその実質がきちんと評価されていない側面。もうひとつは一部のメディアや熱烈な支持者が喧伝するほどには成果を収めていないという側面だ。

「維新」現象と「維新」政治の関係を解き明かすことで、「維新」とは何かが見えてくる。

自公政権の失墜、民主政権の迷走が「維新」を生んだ

前述のとおり地域政党として大阪維新の会が正式に発足したのは2010年であるが、設立時の代表である橋下徹が大阪府知事に当選した2008年1月である。この時期はリーマンショックに端を発する世界金融危機が日本経済を直撃していた。大企業が派遣労働者の大規模な雇止め(「派遣切り」)を行い、多くの非正規労働者が仕事とともに住まいを失った。「ネットカフェ難民」という言葉が生まれ、格差と貧困が大きな社会問題となっていた。

当時、国政においては自民党が支持を失っており、2009年9月には民主党政権が誕生する。国民は格差を解消し、貧困を克服するリベラルな政治を希求したといえる。しかし、民主党政権への支持も長続きしなかった。民主党は2010年の参院選で敗北し、再びねじれ国会となる。2011年3月11日、東日本大震災が発生。甚大な津波被害とともに、福島第1原発事故が発生する。その直後に実施された統一自治体選挙に、初めて大阪維新の会として臨んだ「維新」は府議会の過半数を制し圧勝を果たす。

つまり「維新」は自民党、民主党という二大政党がともに支持を失う中で、大阪の地で誕生した新興政治勢力である。

大阪府政・市政への不満を巧みに吸収した「大阪都構想」

では、なぜ「維新」は大阪で登場したのか。

当時、大阪府市はともに厳しい財政危機からの再建の途上にあった。財政危機の主因はバブル崩壊による3セク事業の破綻にあったが、職員厚遇や労使関係が批判の矢面に立たされた。財政再建の道筋はつきつつあったが、大阪府民、大阪市民には行政に対する不満が鬱積していた。

そこに登場した橋下知事は、「二重行政のムダ」の解消や「身を切る改革」を標榜し、徹底したコストカット政策を提唱した。反対するものは「既得権益」と切り捨てた。自治体議員や既成政党、公務員労働組合や連合町会などの住民自治組織、様々な業界団体などがやり玉に挙がった。舌鋒鋭く既得権益批判を展開する橋下に、多くの有権者は喝さいを送った。

2010年に看板政策として掲げた「大阪都構想」は、そうした政策の集大成ともいえるものであった。都構想を簡単に説明するとこういうことである。

①大阪府と強い権限を有する政令指定都市・大阪市が並立するのは「二重行政のムダ」である。

②これを解消するため大阪市を廃止し、いくつかの特別区に分割する。

③成長戦略は府が担い、特別区は福祉や教育など住民サービスに徹する。

一見、大胆かつ極めて分かりやすい制度改革案に見える。しかし、多少なりとも地方自治に携わった者の目から見ると、きわめて粗雑な提案であることがわかる。まず、何が「二重行政のムダ」なのかまったく明確ではない。都市開発権限を府に集中する構想であるが、そのことで必ず経済成長が実現できる保証はどこにもない。福祉や教育は特別区が担うことによって高い水準で展開できると宣伝されたが、特別区の財政基盤は極めて脆弱な制度設計であった。

しかし、これに反対するものは改革よりも自己利益を優先する「既得権益」とラベリングされ、徹底的に攻撃された。それを在阪メディアはこぞって取り上げた。府民、市民は「維新」の政策への共感からというよりも、旧来の大阪の政治への不満のはけ口を求めて「維新」を支持したともいえる。

安倍政権との「蜜月」で延命に成功した「維新」

2012年12月の総選挙で自民・公明両党が政権に復帰し、第二次安倍政権が成立する。すると橋下市長、松井知事は安倍首相、菅官房長官といわゆる「蜜月」関係を築く。そして安倍人気をも取り込んで大阪における「維新」支持の延命に成功する。

「維新」は小さな政府を信条とする新自由主義的な政党であったが、安倍政権との接近を境に、保守主義的、権威主義的傾向も併せ持つようになる。橋下市長が従軍慰安婦を容認する発言を行い、大きな批判を呼んだのは2013年5月のことである。

また、「蜜月」関係を梃子に大阪万博招致やIRカジノの大阪誘致を推し進める。これらは「維新」の成長戦略の目玉政策となっていく。

以上が「維新」現象、すなわち「維新」が誕生し、現在まで大阪での支持を維持し続けているという政治現象のいわばラフスケッチである。自民党政治への批判の高まり、リベラルな政治への期待と失望、保守政治の台頭といった政局の変化にうまく対応しながら、「維新」は大阪における支持を調達し続けることに成功してきた。では「維新」は獲得した支持を背景にどんな政治を実現したかったのか、それは成功したのかを次に見ていこう。

キャッチフレーズで隠蔽される「維新」政治の本質

「維新」政治の第一の特徴は行政のコストカットである。そしてコストカットによって生み出された財源の一部を個人給付に回すことである。これは行政には無駄が多いと信じ込んでいる有権者には喜ばれる政策といえる。しかし事実はそう単純ではない。

例えば吉村知事は今年の知事選の公約で所得制限のない私立高校授業料無償化を掲げたが、その実現にあたって授業料の上限を大阪府が決める「キャップ制」の導入をめぐって難航した。現在も、大阪以外の府県の私立高校は「断固反対」を掲げて申し入れを行っている。

そもそも橋下知事は就任直後に169億円の私学助成金の削減を行っている。また、3年連続して定員割れした府立高校は廃校対象とするという条例改正を行った結果、2012年からの10年間でなんと17校が廃校となる予定である。

つまり私立高校に通わせる保護者の授業料負担は確かに軽減されているが、府立か私立かを問わず高校教育の基盤は確実に脆弱化している。そしてその事実は公立高校の教職員や私立学校法人を「既得権益」呼ばわりすることで巧妙に隠蔽されている。

もう一つ例を挙げると、大阪府の大阪急性期・総合医療センターが近隣にあるからという理由で大阪市の住吉市民病院は廃止された。しかし、住吉市民病院は地域の周産期医療の拠点として、府の総合医療センターとは決して競合しない機能を有していた。そのため地元住民は反対を訴えたが、廃止は強行された。地元住民の反対の声とその論拠は、「二重行政のムダ」というキャッチフレーズによって隠蔽され、廃止は正当化された。こうした事例は枚挙にいとまがない。

それでも「大阪市」は残った

「維新」は極めて強引な手法を駆使して、都構想の是非を問う住民投票を2度にわたって実施させた。住民投票実施にこぎつけるまでの悪辣ともいえる政治手法にこそ「維新」政治の非民主主義的な本質があるが、ここでは詳しく触れる余裕がない。詳しくは拙著を参照していただきたい。

にもかかわらず住民投票は2度とも反対多数で否決された。いずれも僅差での否決であったが、大阪市民はギリギリのところで賢明な政治判断を下した。この反対多数による大阪市存続をもたらしたのは、大阪市民自らの草の根的な反対運動であった。今後、「維新」政治を終わらせ、大阪に新しい政治が実現するときには、きっと都構想反対に立ち上がった人々がその担い手として登場するだろう。

一方で、「維新」支持者は必ずしも都構想を支持していないことが明らかとなった。「維新」が選挙で勝ち続けるのは、その政策が支持されているのではなく、既成政党への不信と不満が「維新」支持となってあらわれていることを改めて示した。

また、この2度の否決は、橋下徹と松井一郎という「維新」創設者の政界引退という副産物をもたらした。それは政策実現に失敗したリーダーは政界から去るというのが「維新」のルールであることを印象付けた。この作風は吉村洋文や馬場伸幸の肩に重くのしかかっていることだろう。

解体される大阪のコモンズ

2020年に全世界を襲ったコロナ・パンデミックは、感染症対策への備えがいかに大切かを痛感させた。地球温暖化の影響で自然災害も多発している。南海トラフ地震は30年以内に発生する可能性が極めて高いといわれている。

こうした中、都市インフラや保健医療、教育・福祉など社会的共通資本の大切さが再認識されている。とくにエッセンシャルワーカーといわれる人的資本の確保が重要であり、これらは人材育成も含めて公的セクターに確保される必要がある。公務員は減らせばいい、必要なら市場から調達すればいい、といった考え方はもはや時代遅れである。

コロナ禍において大阪府の死者数は1.5倍の人口を有する東京都を上回った。知事や市長が「大阪ワクチン」開発だとか、「ポビドンヨード」のうがいだとか、雨合羽の供出依頼だとか、ふざけたパフォーマンスに血道をあげている間に、どれだけの大阪府民が命を落としたか。にもかかわらず「維新」は公共サービスの削減に熱心であり、これを「身を切る改革」などと称して旗を振り続けている。

破綻しつつある「成長戦略」

公共サービスの解体を進める一方で、「維新」政治が熱心に取り組んでいるのが「成長戦略」だ。そもそも規制緩和をして市場の活動を妨げないのが市場原理主義であるなら、行政自ら「成長戦略」に手を染める必要などないようなものだが、ことのほか熱心なのが「維新」政治の特徴といえる。

しかし、それは必ずしもうまくいっていない。橋下・松井時代に鳴り物入りで進めた成長戦略としてのIRカジノ誘致も、唯一の事業者となったMGMとオリックスの合同企業の意を汲まざるを得なくなったことから、苦境に立たされている。建設予定地の土壌汚染対策等のために790億円もの市費負担を押しつけられた上に、2026年までであれば違約金を支払うことなく事業者が一方的に事業から撤退してもいいというルールまで府市は飲まされた。IR推進派の間ですら成長への期待より失敗への懸念の方が高まっている。

万博の準備の遅れや経費の上振れについても言えることだが、「維新」は政策立案能力が脆弱すぎる。おそらく官僚の専門知識をうまく活用できていないことと、民間主導をいう割には民間企業の知恵も借りられていないことが原因していると思われる。

「維新」政治の失敗が招く財政危機再来の危険性

毎日新聞は11月7日、「府は11月6日の戦略本部会議で、2024年度当初予算編成段階での収支不足額(赤字)が2月の想定より150億円悪化し、670億円前後になる見通しを明らかにした」と報じた。しかもこの試算に大阪・関西万博の建設費増額分は盛り込まれていないそうだ。

万博の会場建設費のさらなる上振れやIRカジノの帰趨いかんでは、次年度以降、大阪府の財政が一気に悪化する危険性がある。大阪市も万博やIRカジノ整備に応分の負担を強いられるため、府の財政が悪化するときは大阪市の財政も逼迫するのは間違いない。

一方で、大阪府議会、大阪市議会ともに大阪維新の会の議員が過半数を占めており、首長の専決処分や強行採決に躊躇しない「維新」の体質を考えるなら、議会のチェック機能に期待はできない。

以上のように「維新」政治による公共サービスの解体が進められる一方で、拙い成長戦略の失敗によって再び財政危機に見舞われる危険性に大阪府市は直面している。

「維新」現象の片棒を担いだ在阪メディア

まとめの前に「維新」現象を語るとき、どうしても触れざるを得ないことがある。在阪メディア、とりわけテレビの報道のあり方の問題である。もちろん現場には、調査取材を積み上げて「維新」政治に警鐘を鳴らす記事や番組作りに努力している記者たちもいるが、各局が関西ローカルで毎夕に配信する生放送の番組は総じてバラエティ化が進んでる。

こうした番組が橋下知事以来、維新の首長を頻繁に登場させて、その主張を無批判に報じてきた。それでも橋下時代は批判的な報道もあり、報道内容も政治課題に限られていたが、吉村知事になってからはアイドル・タレント扱いともいえる持ち上げぶりで、最近の事例では阪神タイガース優勝についてのコメントを求め、平気で報道していた。

こうしたことが万博建設費の追加負担問題などで最近陰りがちな人気を回復する手立てとして、大阪府と兵庫県が優勝パレードを企画するというとんちんかんな「政策」につながっているのかもしれない。さすがにあまりのあざとさに、野球ファンもいささか鼻じらんでいるようだが、実施されれば在阪テレビはこぞって放映することだろう。

先述したように「維新」はキャッチ―な政策コピーを多用するが、それを有権者に浸透させた責任は、これらを無批判に報じてきた在阪メディアにもあることは指摘しておきたい。

「維新」現象を終わらせ、「維新」政治を乗り越えるために

「維新」現象は二大政党をはじめとした既成政党への支持がともに低迷し、過去の大阪の地方政治に対する有権者の不信と失望が高まる中で大阪において発生し、安倍政権により国政が保守化、右傾化を強めるのに伴って全国に勢力を拡大する足掛かりをつかんできた。

しかし、維新の支持が全国化した場合に推進される「維新」政治は、「身を切る改革」の名のもとで強行される公共サービスの解体と万博やIRカジノに代表される稚拙で時代遅れの「成長戦略」である。

「維新」が政治を席巻する事態は膨大な時間とコストのムダとなろう。大阪は既に13年から15年の間、「維新」政治に翻弄され続け、中長期的な都市政策のビジョンを描きえずにいる。同様のムダを全国民に強いることは避けなくてはならない。

そのために私たちになにが求められているか。

その答えを出すのは実は簡単ではない。それは「維新」を批判するだけでは足りず、これからの社会が目指すべき方向を示すことを意味するからだ。貧困と格差の拡大、人口減少、地球温暖化、パンデミック、戦争…。世界は不都合な難題に満ちている。ある難題の解決策が、別の難題を深刻化させることにもなりかねず、誰もが納得できる解決の方向性を示すことはとても難しい。

そんなとき苦境を招いた責任をだれかに押しつけてバッシングする。現実性の乏しい夢のような「成長戦略」に賭けてみる。そうしたい気持ちも理解できなくはない。そんな人々の気持ちをうまく支持へと誘導したのが「維新」である。しかし、それで一時、不安や不満から目をそらすことができたとしても、それは何の解決をももたらさない。

私は拙著のまとめで、帚木蓬生氏が紹介したジョン・キーツの言葉を引いた。それは「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉で、「答えの出ない事態に耐える力」という意味である。その力の大切さに市井の多くの人々が気付いた時、「維新」現象は終わり、「維新」政治に変わる着実な歩みを始めることができるのではないかと考えている。

《本の紹介》

分断によって市民を統治する「維新」政治から決別し、市民相互の信頼でつなぐ自治をどう構築していくべきか。

大阪において13年間にわたって「維新」政治と対峙し、大阪都構想反対運動の理論的バックボーンを築いた大阪地方自治研究センター「大阪の自治を考える研究会」。

その研究活動の蓄積をもとに、「維新」政治とは何かを振り返り、未来の展望を考える著書『「維新」政治と民主主義』が公人の友社から出版されました。

A5判 248ページ 1冊1,980円(税込)

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私たちはみんな弱い存在だ。自分の能力や実力で生きていると思っている人でも、生まれたばかりの頃や大病を患ったとき、年老いてからは、誰かの世話なしには生きていけない。維新が進める自己責任型の政治は、そんな当たり前のことを忘却している。分断を煽る政治を超え、ボトムアップの自治を見据える希望の書。

中島岳志 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授