日本をいま一度せんたくいたし申候。
金子 勝【2023.10】
何を言っているのか分からなくなった岸田首相
10月20日に臨時国会が開かれた。翌々日の衆参補選は自民党の1勝1敗だったが、岸田文雄首相に対しては世論調査も厳しい。とくに岸田政権の経済政策を「期待しない」が過半数を超えている。
岸田首相は、自分が何を言っているのか分からなくなっているようだ。物価高対策が必要だと言いながら、アベノミクスを正当化するためにデフレ脱却が必要だという。物価を上昇させるデフレ対策の枠組みで、物価を抑える物価対策をする。もはや支離滅裂に陥っていると言ってよい。
実際、物価上昇は2年以上続き、2022年4月以来、1年半も消費者物価上昇率は2%を超えている。とくに食品とエネルギーの値上がりが激しく生活は苦しい。ところが、依然,岸田政権は、物価上昇は「一時的である」として、事実上、赤字国債依存の「インフレ課税」路線をとる。物価上昇で財政赤字を目減りさせながら、消費税や所得税は自然増収し、円安が進めば輸出大企業からの法人税収入は伸びる。物価を上昇させるデフレ対策の枠組みで作りだした税の自然増収で物価高対策をする。ガソリン補助金を出し、減税を実施しても、日銀が超低金利で赤字国債を買い取らければいけないので、日米金利差が開き、円安インフレで帳消しする。結局、石油元売りがもうけるだけに終わる。一方で、防衛費倍増政策をとるために、少子化対策予算など出るはずもない。
岸田文雄首相は総選挙前に増税はまずいからと、所得税を含む防衛増税を2025年以降に先送りしたが、それでも支持率が低いので、今度は「税収増を国民に還元する」と称して、期限付き所得減税を打ち出した。総選挙では国民に減税で嘘をついて乗り切れば、あと4年も権力の座にすわれる。結局、防衛増税路線で全部取り戻すことになる。しかし、さすがに国民も騙されなくなっている。
この状況で、野党は「減税」合戦で競い合っても無意味である。政権発足後で過去最悪の内閣支持率を記録した朝日新聞の10月の世論調査でも、経済対策は「期待できない」が69%、「期待できる」はわずか24%にとどまった。共同通信の世論調査では、日本の財政が「不安だ」と回答したのは82.1%に達している。野党に求められているのは、岸田政権の経済政策に全面的に対抗するビジョンである。真剣に検討すべき、重要な政策課題をいくつか提示しておこう。民主主義的な議論を喚起することが必要である。
生活防衛のために日本の異常な政策を正す
(1)世界的に見て、燃料税の引き下げが物価対策の主流であり、石油元売りに補助金を出す政策は異常である。在庫評価益を「保全」するガソリン補助金は、石油の価格変動のリスクを消費者(中小企業を含む)に転嫁するやり方である。トリガー条項を外すしかない。しかし問題は、日本では石油元売り企業は3社寡占状態になっており、市場競争がほとんど働かない点にある。ガソリン価格は1リットルあたり185円でピークをつけた。そこからガソリン価格を25円引き下げたとして、少なくとも160円を上限としてそれ以上になった場合、超過利潤課税を課さなければならない。あるいは石油元売り企業の石油在庫の「含み益」が異常に膨らんだ場合にも、同様の超過利潤課税を課すべきだろう。
(2)他方で、岸田政権の下で、賃金格差が開いている。円安で輸出大企業の賃上げと、輸入原材料を使う中小企業の間で、賃上げ率の格差は倍近く開いている。さらに非正規雇用の賃金は低い。その結果、23年8月時点で17ヵ月連続の実質賃金低下が起きている。同一価値労働・同一賃金が求められている。賃上げ企業に対する法人税減税は結果的に大企業偏重になっており、これでは内部留保をさらに異常に膨張させるだけである。むしろ、法人税で内部留保課税を強化して、中小企業の賃上げを補助し、最低賃金引き上げを図るべきである。同時に、賃金以外のベーシックサービス、とりわけ住宅手当と教育の無償化を図ることで生活格差を是正しなければならない。
(3)実質賃金だけでなく、人口減少も深刻だ。未来のない国には子どもは生まれない。岸田政権の「異次元の少子化対策」では少子化は止まらない。出産費用の保険適用、育児休業給付金10割支給ではインパクトが小さい。世界は授業料無償化か給付型奨学金なのに出世払い奨学金はナンセンスであり、106万円の社会保険の壁を越えた場合の企業(従業員数101人以上)への補助金は中小零細企業を排除した人手不足対策でパートの固定化でしかない。所得制限なしの第3子以降と高校生への児童手当拡大も民主党政権時の子ども手当のパクリでありかつ財源のメドが立たない。かつ高校生への所得制限抜きの児童手当の拡大は、それの見合いで行われる扶養控除削減でかえって不利になるケースが生まれる。
いまや共稼ぎでないと、なかなか子どもを産めない。女性の正社員化をはじめ社会進出が不可欠であり、それに合わせて少子化対策を進めるべきだろう。何よりベーシックサービスである教育費の私的負担の大きさが子どもを産む負担を大きくしている。給食費無償化はもちろん、高校大学まで学費無償化ないし給付型奨学金の飛躍的拡大が最優先課題だろう。その財源を確保するには、分不相応な軍拡を圧縮することが重要だ。
(4)人口減少は地方ほど深刻である。その克服のためには、エネルギー改革を契機に、食と農、医療と社会保障を軸に地域分散ネットワーク型の経済構造を作ることが大事だ。とくに基盤産業としての農業軽視を改めることが必要である。まず国際ルールに従った所得補償制度をはじめ農家への直接支払いを再導入すべきである。と同時に農家経営の改善のために、再生可能エネルギーと蓄電池を備えたエネルギー兼業を普及させつつ、人手不足に対応するにはスマート農業が必要だ。そのために、エッジコンピューティングに基づいた地方のIT企業を支援する。今後は、単身世帯と女性の社会進出に伴う共稼ぎ世帯の増加に伴って食品加工や調理食品の需要が拡大していくので、地域に地元農産物を基盤にした食品加工業を地道に育成していくことが求められている。
未来の産業を育てるには改革が必要だ
2015年に官僚の天下りと政治献金が復活して以降、自民党に政治献金し、国が運営する事業に献金企業が担っていき、それによって時代遅れの経団連企業が「救済」され、その結果、先端産業への新陳代謝が妨げるようになっている。アベノミクスの弊害が日本の産業の本体を腐らせており、財政赤字は止まらず、貿易赤字が定着するようになっている。憲法違反の財政民主主義無視を改め、イノベーションを引き起こす本質的な制度改革が求められている。
(1)新型コロナウィルスの流行に伴い、2020年度予算以降、10兆円前後もの巨額の予備費を計上し、そこから基金を積み上げている。予備費も基金も国会のチェックが効かないが、ガソリン補助金や電気ガス補助金も基金から出している。そして予備費や基金を余らせ、「決算剰余金」や「歳出改革」として防衛費倍増の財源にしようとしている。これは赤字国債を迂回させたマネーロンダリング的な手法となっている。「新しい戦前」は、こうした手法によって憲法83条の財政民主主義を空洞化させ、防衛費を膨張させており、それが多くの国民にとって必要不可欠な社会保障や少子化対策などを圧迫している。異常に膨らんだ不要な予備費と基金をただちに削減すべきである。同時に、国会のきちんとした議論を無視して決めた防衛3文書を見直し、改めて日本の進路を左右する課題を国会で論議し、分不相応な防衛力整備に組み直していくことが必要である。
(2)公正取引委員会が引き続き電力会社の地域独占を監視し、電力料金引き上げを再検証するとともに電気・ガス補助金を見直すべきだ。電力会社の地域独占を正すには、発送電の所有権分離改革を実行すべきである。「所有権」をたてに大手電力会社が抵抗する場合には、原発を含む電力会社に対する国の補助金や優遇措置を全て見直すと同時に、その資金を再生可能エネルギーと蓄電池整備への支援に回すべきである。同時に、地域独占を改めない電力会社からできるだけ電力を買わず、建物・住宅には電力自給を支援するオフグリッド戦略を進めるべきである。
(3)日本の情報産業衰退は深刻である。いまや半導体で遅れ、クラウドで遅れ、生成AIも遅れようとしている。マイナンバーカードによる「デジタル・ガバメント」は、さらにこうした遅れを加速させている。保険証廃止延期法案は最大多数の最大公約を示した法案である。日本の情報技術と情報産業を発展させるには、マイナンバーカードは基本設計からを一から見直すべきである。カードの欠陥が極めて問題であるだけでなく、多数の紐付けも間違い、医療や薬の個人情報保護の無視も大問題である。
まずJ-LIS(地方公共団体情報システム機構)の解体的出直しを行い、開かれた競争システムを採用すべきである。そのうえで、多数の紐付けを止め、独自のOS(オペレーティング・システム)で一つ一つ丁寧なシステムを組んでいく。古臭い欠陥カードを廃止し、スマートホンに一つ一つのシステムを個人が選んで使えるようにしていく。
医療DXに関しては、地域単位で中核病院、診療所、高齢者施設、在宅医療、看護介護,薬局でネットワークを組み、自分の医薬情報に誰がアクセスしたかを知る権利を保障しつつ、訪問看護・介護の情報を共有する仕組みを作る。同時にブロードバンドで検査測定を自己管理できるデバイスを開発する。国が医療情報を集約できる膨大な演算能力を築き、個人情報管理を徹底的に保護しつつ医薬品開発に活用できるようにする。
最悪のリスクを防ぐことから始める
人への投資を含む科学技術政策の効果を発揮するのは時間がかかる。そこまで踏みこたえるには、マクロ経済運営に関して、日本経済の衰退の現実を踏まえて、最悪のリスクを防ぐことから始めて、そこから反転してイノベーションを実現していかなければならない。
まず、日本経済においてだんだん表面化してきたのは、2011年の東日本大震災以降、貿易収支が赤字体質になっていることである。その背後には、情報通信産業、RNA医薬品産業、再生可能エネルギーと蓄電池、電気自動車(EV)と自動運転など先端産業での遅れである。いまは原油価格の高騰が一旦落ち着いてきたことや半導体のサプライチェーンの回復などもあって自動車の輸出が増えてきたが、なおも貿易赤字が続いている。さらに電気自動車(EV)ではトヨタ・ホンダはBYDとテスラに負けており、3年後にトヨタ・ホンダがEVを発売するが、この分野で敗北すると、自動車一本足打法が崩れ、日本の国際収支の黒字が消えていくことになるだろう。これまで日本は技術的に優れた工業製品を輸出して稼いで,原材料や食料を輸入する加工貿易型をとってきたと言われる。しかし、こうした事態に戻るのは相当の努力と時間を必要とする。
(1)まずはエネルギー(化石燃料)と食料の輸入を削減して貿易赤字の改善を進めることが必要だ。さらに世界経済は米中欧の3極体制のまま不安定化していくので、対外ショックに強い地域で自律的に回せる経済システムを構築することが必須になる。具体的には、エネルギー(再エネと蓄電池)、食料と農業、医療社会保障をベースにした地域分散ネットワーク型経済システムへと転換していくのである。
(2)10年もアベノミクスを行ってきたために、日本の財政金融政策は「出口のないねずみ講」と化している。国際収支が赤字化したまま日銀の金融緩和を底なし沼のように続けていくと、2022年末で起きたように円安か国債売りの投機の攻撃を何度も受ける危険性にさらされることになる。イギリスのトラス政権のような事態が陥る、あるいはその恐れが発生した場合、日銀に「安倍・黒田勘定」を設ける。ある種の「倒産企業」と同じ仕組みである。日銀の抱える借換債償還の際に超長期債に変えて、この勘定に封じ込めていく。ただし、「安倍・黒田勘定」を設けるのは最後の手段であり、紙幣増発インフレーションを防ぐには、少なくとも基礎的財政収支を均衡させ、これ以上、赤字国債が増えないようにしなければならない。
イノベーションを推進するために必要な社会改革
安倍政権がもたらしたツケは重い。安倍政権は森友問題、加計学園問題、桜を見る会など公正な社会ルールを徹底的に破壊したからである。内閣人事局を通じた忖度官僚の量産、放送法解釈変更に伴うメディア介入、学術会議の任命拒否に伴う科学者の自治の破壊、最高裁人事の介入に伴う司法の独立性の破壊などが起きている。腐った縁故資本主義の下では、イノベーションなど起きようがない。一つ一つ公正なルールを再建しなければならない。
(1)森友問題における公文書改ざんを公開する。国政調査権を用いた加計問題や桜を見る会の再調査、ペジーコンピューティングの未返還補助金の返還を求める。
(2)内閣人事局の適用範囲を制限する一方で、政治献金と官僚の天下りを再び規制し、縁故主義の徹底的な排除を図る。
(3)放送法変更見直しの見直しによってメディアと言論の自由を保障する。NHK会長人事への介入を止めさせ、独立性を尊重する改革を行う。
(4)少なくとも3代目以降の世襲議員の同じ選挙区の立候補を禁止するべきである。
(5)こうした措置で縁故主義を徹底的に排することで、科学技術政策の充実を図る。学術会議の任命拒否の回復、大学ファンドの見直し、大学と科学者の自治の復権とともに、大学予算と科学技術予算の回復しつつ研究費配分の公正化を図る。
安倍政権の下でアベノミクスは予想通り「出口のないねずみ講」に陥っている。野党が自公政権と同じ発想に立ってバラマキを行っていけば、もつだけもたせた先に残っているのはカタストロフでしかない。そこから抜け出すことは難しいが、脱出が遅れれば遅れるほど、取り返しのつかない未来が待っている。覚悟を持って、日本を洗濯(選択)し直さなければならない。
金子 勝
(淑徳大学大学院客員教授・慶應義塾大学名誉教授)