コラム

「敵基地攻撃能力の保有」は「政治の堕落」【2023.1】

岸田文雄政権は安全保障関連3文書を改定し、安全保障政策を大転換させた。「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言い換えて保有を明記した。反撃と言いながら、実際には「先制攻撃」を容認したものだ。

こうした言い換えは「全滅」を「玉砕」、「敗走」を「転進」と呼んできた旧日本軍と変わりなく、国民をミスリードする詐欺的手法である。政府は「専守防衛は堅持」「先制攻撃はしない」と強調するが、詭弁にすぎない。

なぜ、敵基地攻撃能力の保有が「先制攻撃」になるのか。

それは安倍政権で制定された平和安全法制(安全保障関連法)により、これまで「行使できない」とされてきた集団的自衛権を存立危機事態であれば「行使できる」と変えたからだ。

存立危機事態は「密接な関係にある他国」に対する武力攻撃が発生して日本の存立が脅かされる事態を指し、政府は米国を「密接な関係にある他国」とみているから、米国への攻撃があれば、日本は米国を守るために戦うことができる。

米国という「国」が攻められた時に限らない。政府は米軍の損耗は存立危機事態にあたり得るとの見解を示しているので、日本は米国や米軍を守るために集団的自衛権を行使することが合法化された。

なぜ米国や米軍が攻撃されると日本の存立危機事態になるのか、日本は独立国家であって米国の付属物ではない。米国の戦争に参戦するか否か独自に判断できるはずだが、思考停止して米国とともにあることを決めたのが安全保障関連法なのだ。

海外における武力行使を意味する集団的自衛権行使を解禁したことから、元内閣法制局長官や多くの憲法学者が「違憲」と批判する「天下の悪法」である。

今回、改定された国家防衛戦略(旧防衛計画の大綱)には重要な一文がある。

「この政府見解は、2015年の平和安全法制に際して示された武力の行使の3要件の下で行われる自衛の措置にもそのまま当てはまるものであり、今般保有することとする(※筆者注・敵基地攻撃)能力は、この考え方の下で上記3要件を満たす場合に行使し得るものである」

「この政府見解」とは敵基地攻撃の合憲性を条件付きで示した鳩山一郎元首相の見解(1956年2月29日衆院内閣委員会)を指し、「武力の行使の3要件」とは、安倍政権で定めた武力行使ができる要件のことで「日本への武力攻撃が発生した場合」と「存立危機事態が認定された場合」の二つが記されている。

この一文の根幹をわかりやすくいえば、「存立危機事態における敵基地攻撃は可能」となる。日本が攻撃されていないにもかかわらず、日本は米国の交戦相手を攻撃できるというのだ。これこそが先制攻撃である。

この結果、国内法の安全保障関連法で認められた集団的自衛権行使が国際法では許されない先制攻撃に該当することがあるという矛盾を抱えることになった。

もっとも国連憲章51条は時間的な制約付きで自衛権の行使を認めている。米国によるベトナム戦争や旧ソ連のアフガニスタン侵攻といった事実上の侵略行為が集団的自衛権の行使と主張された例を見れば、この規定自体が妥当性を欠くというほかない。

自衛隊は「専守防衛」の制約から攻めてくる敵を撃退する訓練しかしていない。攻撃は想定しておらず、他国のどこに基地があるのか正確な地点を知る術さえない。偵察衛星を導入したり、ヒューミントと呼ばれるスパイを養成したりするには巨額の費用と長い時間がかかる。

では、どのようにして攻撃を仕掛けるのか。

国家防衛戦略は「我が国の反撃能力については、情報収集を含め、日米共同でその能力を効果的に発揮する協力体制を構築する」とした。解決策は日米一体化だというのだ。

米軍は偵察衛星、各種レーダー、ヒューミントなどを組み合わせた高い情報収集能力を持ち、自衛隊の情報不足を補うことができる。その性能を熟知する米軍からの命令で、米政府から購入する巡航ミサイル「トマホーク」を自衛隊が発射する日がいずれ来るのだろう。

ただ、「日本への武力攻撃が発生した場合」は「反撃」という言葉が当てはまるかもしれない。これまで政府は日本への一撃がなくても、相手が攻撃に「着手」したと認定できれば敵基地攻撃できるとしてきたが、その見極めは難しい。判断を誤れば、ここでも「先制攻撃」になりかねない。

与党協議で公明党は「着手」を厳格化するよう求めたが、自民党が「手の内を明かすことになる」と反対した。攻撃対象について、自民党は敵基地に加えて「相手国の指揮統制機能等を含む」よう求めたが、こちらも決まらなかった。

結局、安保3文書には「着手」の定義も「攻撃対象」も明示されていない。攻撃の基準を示すことなく、あいまいにしたことで責任を押しつけられたのは自衛隊だ。3文書には勇ましい言葉や導入を予定する攻撃的兵器の名前が並ぶものの、政治が軍事を統制するシビリアン・コントロールの自覚は紙のように薄い。

3文書は防衛費を現在のGDP比1%から2%とすることも打ち出した。防衛費を倍増させる理由のひとつは、安倍政権から始まった米国製兵器の「爆買い」による「兵器ローン」の支払いに追われていることがある。

米政府の武器輸出制度である対外有償軍事援助(FMS)による米政府と日本政府との年間契約額は600億円前後で推移してきたが、第二次安倍政権が始まると必要性を度外視して「爆買い」に走り、1000億円、4000億円、7000億円と増え続け、安倍氏が首相を退任した20年度でも5000億円近い。

出所:防衛省資料

「兵器ローン」=歳出化経費と隊員の給料などを意味する人件糧食費を合わせると防衛費の8割を占める。これらは固定費なので、家計でいえば食費とローンに収入の8割が消えることを意味する。苦しい生活というほかない。

さらに敵基地攻撃に利用する長射程ミサイルや護衛艦「いずも」型を空母化するのに必要な戦闘機を買うのでローンはさらに増える。GDP比2%という数字は、すべての問題を丸く収める「魔法の呪文」なのだ。増える防衛費を補うために増税が実施される。悪夢というほかない。

国家安全保障戦略は中国を「最大の戦略的な挑戦」とし、北朝鮮は「従前よりも一層重大かつ差し迫った脅威」、ロシアは「安全保障上の強い懸念」と位置づけた。これらの国との関係を改善し、危険を回避する道筋はどこにも書かれていない。

先制攻撃であれ、着手後の反撃であれ、日本からの敵基地攻撃は全面戦争を招きかねない。専守防衛を逸脱して「敵基地攻撃能力の保有」に走る「一本足打法」は、東アジア全体の軍拡を促し、地域の不安定化を意味する「安全保障のジレンマ」に陥りかねない。

外交で解決すべき、安全保障環境の悪化を加速させる最悪の道というほかない。外交とは「武器を使わない戦争」である。命がけで他国の政治家と渡り合うよりも国内で解決できる軍事力強化へと安易に走るのは政治の逃げであり、政治の堕落である。


半田滋(はんだ・しげる)
 1955年(昭和30)年生まれ。防衛ジャーナリスト。下野新聞社を経て、91年中日新聞社入社、元東京新聞論説兼編集委員。獨協大学非常勤講師。法政大学兼任講師。92年より防衛庁取材を担当。2007年、東京新聞・中日新聞連載の「新防人考」で第13回平和・協同ジャーナリスト基金賞(大賞)を受賞。

著書に、「戦争と平和の船、ナッチャン」(講談社)、「変貌する日本の安全保障」(弓立社)、「安保法制下で進む! 先制攻撃できる自衛隊―新防衛大綱・中期防がもたらすもの」(あけび書房)、「検証 自衛隊・南スーダンPKO-融解するシビリアン・コントロール」(岩波書店)、「零戦パイロットからの遺言-原田要が空から見た戦争」(講談社)、「日本は戦争をするのか-集団的自衛権と自衛隊」(岩波新書)、「僕たちの国の自衛隊に21の質問」(講談社)、「「『戦地』派遣 変わる自衛隊」(岩波新書)=09年度日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞受賞、「自衛隊vs北朝鮮」(新潮新書)などがある。