コラム

カタストロフが迫っている
金子 勝(立教大学特任教授・慶應義塾大学名誉教授)【2022.10】

物価上昇は「一時的」か

岸田文雄首相の「新しい資本主義」は、中身が空っぽになった。

当初、岸田首相が打ち出した金融所得課税強化は、真逆の資産倍増計画になった。賃上げ企業に対する法人税減税も、大企業で9%、中小企業ではわずか3%しか適用されなかった。「新しい資本主義」の目玉政策が失敗した結果、岸田政権はアベノミクスに逆戻りしている。そして、それゆえに経済政策は破綻している。

この間の政府・日銀の経済見通しと金融政策決定の誤りは明らかだ。

2022年に入って1月18日の金融政策決定会合において、黒田東彦日銀総裁は、物価目標を1%から1.1%に修正し、金融緩和政策の維持を決めた。その後も、物価上昇は「一時的」と言い続けたが、8月には消費者物価上昇率(総合)は3%に達し、生鮮食品を除いたコア指数でも2.8%に達した。10月の値上げラッシュを考えると、今後も物価上昇は続くだろう。

インフレターゲット論に基づく日銀の政策は破綻した。2013年4月に黒田総裁が大規模金融緩和を始めた際、「2年で2%」の物価目標を達成すれば、金融緩和を解除することになっていた。ところが、8年近くたっても物価目標を実現できなかったあげく、今度は一転して物価上昇が止まらなくなっても、金融緩和を止められない。MMT(現代貨幣理論)も2%を超えれば、増税するはずだったが、これも止められない。

何が起きているのか?現在起きていることは、通常の景気循環では説明できない。これは、石油ショック以来、50年ぶりに起きているスタグフレーション(不況下の物価上昇)だと考えた方がよい。ヨゼフ・シュンペーターが重視した50年周期で起きるコンドラチェフ循環が当てはまるとすれば、いまは大きなイノベーションと産業構造の転換が起き、それは「創造的破壊」を伴うので、戦争、エネルギー危機、パンデミックを発生させるはずである。

そう考えると、この物価上昇を「一時的」などと考えると、根本的間違いを犯す。EV(電気自動車)化を含むエネルギー転換と情報通信技術(IoT)をはじめ、産業構造や政治経済の仕組みが大きく転換する。

ところが、岸田政権と経産省は、アベノミクスに追随して、オリガルヒ(政権と結びついた新興財閥)による巨大国家事業を軸とするプーチン型の成長モデルを追求している。地域独占の電力オリガルヒによる老朽原発の再稼働、鉄道オリガルヒのリニア新幹線、GAFAに勝てない日本のIT企業を救済するマイナンバー事業、IRとカジノなどが典型的だ。岸田政権によって日本は間違った方向に向かっている。これでは日本の産業衰退は止まらないだろう。

 

アベノミクスは出口のないねずみ講

そもそもアベノミクスの中心であった大規模金融緩和が政策破綻している。アベノミクスを9年間も続けたために、50年ぶりのスタグフレーションにまったく対処できなくなっているのである。

政府は1000兆円以上の国債を発行し、日銀は約540兆円もの国債を購入している。そのため、金利を上げれば、国債費が急増する。仮に金利を1%あげれば、やがて10兆円もの利払い費を増大させる。つぎに、6月16日付けブルームバーグ紙の試算によれば、金利を1%上げれば、日銀が保有する国債価格が下落して29兆円もの含み損を生じさせる。日銀の自己資本は約10.8兆円なので、日銀は潜在的に債務超過になる。

さらに42兆円ものゼロゼロ融資を支えた日銀の貸付金は100兆円も残っており、すでに24兆円の含み損を出しているが、利上げをすれば、含み損を一層膨らませる。実際、帝国データバンクによれば、事業利益で利払いを賄えない「ゾンビ企業」が16.5万社(約1割)もいる。金利を上げれば、日銀の債務を増大するだろう。

そのうえ日本の産業の「稼ぐ力」が衰えているために、円安にもかかわらず、貿易赤字が膨張している。2022年に入って1~6月の貿易赤字は7.9兆円になり、7月の貿易赤字は1兆4368億円、8月には2兆8173億円と過去最大を更新している。さらに、経常収支も6月に1324億円の赤字になり、7月も季節調整値の経常収支は6290億円の赤字になった。貿易赤字が拡大すると、輸入代金を支払うドルの需要が増えて、円安の圧力がますます強まる。

アメリカをはじめEUも、急激な物価上昇に対処するために、金利の引き上げと量的金融緩和の縮小に向かっている。年内にさらに2回のFOMC(公開市場委員会)が開かれ、アメリカの短期金利は4%以上になる見通しだ。そのために、日米金利差は拡大して円安が急速に進み、輸入物価の上昇が止まらなくなる危険性が高い。

実際に、3月4日には1ドル=114円だったのが、9月1日には1ドル=140円を超え、9月22日には1ドル=145円を突破した。半年ほどで40円も上昇したことになる。円安は上昇している輸入物価をさらに引き上げていく。これまで1ドルのものを買うのに114円だったのが、145円もかかるようになるからだ。

 

日銀の歴史的敗北を招く為替介入

9月20~21日に開かれたアメリカのFRB(連邦準備制度)は公開市場委員会(FOMC)で、政策金利(フェデラルファンドレート)を0.75ベーシスポイント引き上げた。FRBは景気後退を覚悟で利上げを続け、6月以降、3回連続で0.75%の大幅利上げを実施し、政策金利は3~3.25%になった。

この利上げで円安が進み、1ドル=145円を突破したため、9月22日に慌てて政府・日銀は円買いドル売りの為替介入を行った。円ドルレートは1ドル=140円台まで値を戻したが、26日には144円台に戻ってしまい、再び145円を突破してしまった。

円高を誘導する円買いドル売り介入は、単独介入であるうえに、売るドルは外貨準備に限定されている。外貨準備は政府の外国為替資金特別会計で保有されているが、今年9月末の外貨準備高は1兆2380億ドルで前月から過去最大の540億ドルもの減少を記録した。外貨建て証券が515億ドルも減少したからだ。ドル売り介入で米国債を売却したようだが、米国債を売れば、かえってアメリカの長期金利を上昇させ、日米金利差を広げて円安要因を作るという自己矛盾を生じさせる。しかも金利高で米国債の価格が下落するので、政府の介入は損失を拡大させてしまう。もはや為替介入には限界がある。

 

カタストロフが来るリスク

このままでは、従来の資産を持つ者と持たざる者の格差に加えて、ドル圏で生きている者と円圏で生きている者の間に新たな格差を拡大させる。海外と取引をしている大企業は円安で未曾有の利益を得ているが、国内の円で生活している中小企業や農業者は原材料高で経営を圧迫され、賃金が上がらないままインフレが昂進すれば低所得者は生きていけない。「インフレ課税」で財政赤字を目減りさせる形で「財政再建」を図るが、少額貯蓄に依存する年金生活者はインフレで貯蓄も目減りしていくのである。

このまま円安が進んでいけば、日本円を売り、外貨で資産を運用する者が増えていく。一般国民も外貨建て定期預金やわずかな証拠金ですむFXトレードを増やしている。やがて投資家も円キャリートレードを行い、日本売りが生じる危険性がある。最近起きたイギリスの国債価格とポンドの暴落がいい例だ。イングランド銀行が利上げと金融を引き締める一方で、イギリスのトラス政権は財源の裏付けないまま、富裕層への減税など格差拡大をもたらす政策を打ち出したからだ。

同じように、岸田政権の下、政府と日銀の間で政策矛盾が生じており、カタストロフに向かっていきかねない。岸田政権は一方で、マイナス金利と金融緩和を続けて円安を誘導しながら、他方で為替介入によって円高を誘導する支離滅裂に陥っている。しかも年内、貿易赤字が累積する中で、年2回のFOMCの利上げで日米金利差が開いていくので、円安圧力が止まらなくなり、日本売りを招きかねない。

まもなく来るカタストロフの危険性を回避するプランBが必要になる。

1.物価抑制策と低所得者対策と大企業課税の強化
2.エネルギーと食料の自給を図りながら対外ショックに強い地域分散型経済の形成
3.縁故主義の克服と科学技術政策の拡充
4.金融政策の柔軟性の漸進的回復

などが重要なポイントになる。残された時間は少ない。