統一教会問題を考える
前川喜平(現代教育行政研究会代表)【2022.8】
突然銃撃されて殺害された安倍晋三氏に対し、私は大変お気の毒だとは思うが、悼み悲しむ感情を持つことはできない。暴力によって安倍氏の命が失われたことには、大変残念だという思いを強く抱く。彼は暴力によってではなく、言論によって打ち倒すべき相手だったからだ。彼には生きていてほしかった。答えてもらわなければならない問いが山ほどあった。追及すべき責任も山ほどあった。生きている間にその責任を認めさせたかった。
安倍氏の殺害をきっかけに一挙に露わになってきたのが、自民党と統一教会との抜き差しならない癒着関係だ。統一教会と関係を持つ政治家に、細田博之衆議院議長、萩生田光一自民党政調会長、伊達忠一前参議院議長、下村博文元自民党政調会長、岸信夫前防衛大臣など安倍派が多いのは偶然ではない。安倍氏本人がその癒着関係の中枢にいたと思われる。彼が生きていれば、当然この問題について厳しい追及を受けただろう。
統一教会は自民党の政治家に秘書を送り込んだり、信者を動員して選挙活動を支援したり、当落線上の候補者に組織票を提供したりして協力していたことが分かってきた。しかし統一教会が何の見返りも期待せずにこれほど「献身的」な協力をするはずはない。借りは返さなければならない。
自民党政治家が統一教会に与えた「見返り」は何だったのか。様々なイベントで挨拶したり出版物に登場したりして「広告塔」になることだけではないだろう。下村文部科学大臣(当時)によって2015年に行われた「世界基督教統一神霊協会」から「世界平和統一家庭連合」への名称変更の認証も、統一教会への見返りだったと考えられる。この名称変更は究極の「正体隠し」であり、被害を拡大しただけでなく、統一教会に関わった政治家に「統一教会だとは知らなかった」という言い訳を許す結果にもなった。
宗教法人法上、統一教会の所轄庁として規則変更の認証を行う権限は文部科学大臣にある。下村氏は認証は文化部長の判断だったと説明しているが、そんなはずはない。当時私は大臣、事務次官に次ぐ文部科学審議官の職にあったが、宗務課長は私のもとへも了解を求めにきた。文化部長限りで判断したのなら私のところへ来るはずはない。私は認証するべきではないと言ったが、結果的に認証された。私の上にいたのは事務次官と大臣だけだ。その2人が認証するという判断をしたことになる。
下村氏自身、認証の決裁の前と後に報告を受けたことを認めている。にもかかわらず、認証に関わっていないと言っている。そんなことはあり得ない。下村氏が「報告」と言っているのは役人側が「大臣レク」と呼んでいるものであって、その際に役人は必ず大臣の意思を確認する。「認証せよ」という下村大臣の意思が働いたことは間違いない。
認証の申請を受理した以上必ず認証しなければならないので大臣の意思が介在する余地はないというような説明も行われているが、宗教法人法は認証の要件と認証しない場合の手続きを定めている。認証要件に該当しなければ認証してはいけない。
統一教会に与えた「見返り」はもっとあるだろう。自民党の政治家が統一教会に対する警察の動きを伝えてやったり、その動きを抑えてやったりしていたのではないか、と私は疑っている。政治力によって警察の動きが止められたという証言は複数存在する。
統一教会によって財産を奪われ、家庭を破壊された被害者が多数存在することが明らかになっているが、こうした事案が刑事事件として摘発されなかったために、犯罪が野放しにされ、被害が拡大し続けたのではないか。
霊感商法を行っていた宗教法人を警察が強制捜査し、その幹部を詐欺罪で検挙した例としては、1995~96年の明覚寺事件や1999~2000年の法の華三法行事件がある。明覚寺については文部省(当時)が1999年に解散命令請求を行い、2002年に和歌山地裁から解散命令が出された。法の華三法行についても文部省は解散命令請求の用意をしていたが、同法人が2001年に破産宣告を受けたことにより解散したため、請求には至らなかった。統一教会に対しても警察が同様の摘発を行っていれば、文部科学省は解散命令請求を行っていただろう。
安倍政権は検察と警察を政治的に支配し、政権に都合よく利用した。大臣室で現金を受け取った甘利明氏には何の咎めもなかった。安倍氏の友人だった山口敬之氏は準強姦罪と思われる行為を行い、逮捕令状が出ていたにもかかわらず、逮捕も起訴もされなかった。統一教会の犯罪もそうやって闇に葬られたのではないか。
現在の警察庁の実質的な上位機関は国家公安委員会ではなく首相官邸だ。統一教会問題の核心には警察権力の政治的中立性の喪失という問題があると言っていいだろう。
統一教会と一体の国際勝共連合の改憲案は自民党のそれと酷似している。同性婚や選択的夫婦別姓への反対、家庭の責任の強調などについても両者の主張は一致している。私は、これは統一教会が自民党の極右勢力に迎合した結果だと思う。日本会議やその支柱となっている宗教法人神社本庁のように國體観念、国家神道、家制度など戦前の日本へ回帰しようとする信念を、統一教会が持ち合わせているとは思えない。教祖の文鮮明と韓鶴子が夫婦別姓なのにどうして夫婦別姓に反対できるのか。彼らには何の信念もないのだろう。
安倍政治が日本の社会にもたらした様々な害悪の中には、反社会的勢力と政治との癒着という問題がある。安倍氏は暴力団との関係を取り沙汰されたこともあるし、マルチ商法の首謀者を「桜を見る会」に招いたことも分かっている。統一教会との癒着もその一環としてとらえることができる。
こんな人物を国葬にするなど狂気の沙汰である。