コラム

 ウクライナ戦争と停戦/和田 春樹(東大名誉教授、歴史学者/ロシア・朝鮮史)【2022.6】

ロシアがベラルーシを中心に大量の部隊を集結させ、ウクライナに圧力をかけ始めたのは、昨年春のことで、いったんは撤退が発表されたが、10月末ふたたび10万人規模へ拡大された。本年2月21日、プーチンはウクライナ東部の二つの親ロシア派の国家、ルガンスク人民共和国とドネツク人民共和国の独立を承認する大統領令に署名した。ただちに米欧はロシアに対する限定的な制裁措置を発動した。ロシアがウクライナに対する「軍の特殊作戦」を実施すると宣言して、侵攻したのは2月24日午前6時のことであった。

和田春樹東大名誉教授(歴史学者/ロシア・朝鮮史。日朝国交正常化連絡会顧問)

戦争がはじまると、ウクライナは国土防衛のための非常態勢をひいたが、米国大統領バイデンも2月23日夜には「米国と同盟国は団結して、断乎とした方法で対応する」と宣言した。米国は率先してロシアに対する経済制裁を課し、武器とあらゆる軍事情報と財政的支援をウクライナに与えた。

ところが、実に開戦の4日後、2月28日、ベラルーシのゴメリでロシアとウクライナの協議がはじまった。朝鮮戦争で停戦協議がはじまったのは開戦一年後であったのを見れば、これがいかに異例のことであることがわかる。協議は3月3日に第二回、3月7日には第三回がおこなわれた。3月10日には、ラヴロフ外相とクレバ外相がトルコの仲介で会談した。いずれの協議も成果はなかった。戦争の中で人間が殺され、街は破壊された。3月末ロシア軍はキエフを包囲するにいたった。

このとき、3月29日、イスタンブールでトルコが仲介した協議がおこなわれ、ウクライナ側が明解な停戦協定案を出した。ウクライナの中立化、非核化を約束し、自国の安全の保障のための国際的な枠組みを提案した。クリミアの地位については15年間の交渉をおこなう、ドンバス東部については大統領会談で解決することを提案した。ロシアはこの提案を歓迎し、交渉をさらにすすめるためにキエフ方面の攻撃を縮小すると表明した。

だが、停戦への希望は3日ともたなかった。4月3日、ウクライナ検事総長がロシア軍の撤退したブチャで市民410人の遺体が発見されたと発表し、ゼレンスキー大統領は「ジェノサイド」だと非難した。欧米諸国も、戦争犯罪と一斉に非難し、対露新制裁を課すとの方針を発表した。怒りの爆発は米国と全欧州を覆い、戦争は東部方向に燃え広がった。その中で、4月5日、米下院軍事委員会公聴会でミリー統合参謀本部議長はウクライナ戦争は「長引く紛争だ」、「十年とはならなくとも、少なくても数年間になるだろう」と表明した。かくして停戦の希望はふっとんだのである。

一体、この戦争はロシア、ウクライナ間の戦争なのか、それともウクライナを主体とし、米国、欧州NATOの連合応援団がとりかこむ勢力とロシアとの戦争なのか、ということが問われることになった。実は、ウクライナの停戦条件案が出される2日前、3月27日にワルシャワでバイデン大統領が「アメリカの新しい戦争の宣戦布告」にひとしい演説をしていたのである。

バイデン大統領は、「民主主義は勝利する」、「われわれはこの戦いに比較的長い期間(for the long haul)コミットしなければならない」と宣言した。つまりウクライナ戦争は、「長い闘争の最新の戦闘なのだ。」はじまりは、1956年のハンガリーの闘いで、56年と81年のポーランド、68年のチェコの闘いとつづき、89年のベルリンの壁の崩壊で、人民は勝利した。「しかし、民主主義のための戦闘は・・・冷戦の終了では終わらなかったのだ。」こう言ったあとで、バイデンは彼の最新の認識を提示した。「最近30年、専制勢力は全地球的に復活した。…今日ロシアは民主主義を絞め殺し、その母国だけでなく、他の地でも、そうしようと企てた。」「犯罪者はNATOの拡大をロシアを不安定化することを狙った帝国的計画だと描き出そうとしている。」つまり、プーチンのウクライナ戦争と戦うことは復活した専制国家に対する民主主義国家の闘いなのだというのである。

「帝国の再建をねらう独裁者は人民の自由への愛を決して消し去ることはできない。ウクライナはロシアの勝利の獲物にはならない。自由な国民は希望のない、暗黒の世界に生きることを拒否する。…神のご加護により、この男は権力にとどまることはない。」

この演説はロシアに対する「アメリカの新しい戦争」の宣言であったのだ。戦争の目的は、プーチンを倒すことである。しかし、アメリカ兵は参戦せず、戦うのはウクライナ人だけである。アメリカは武器と財政支援、情報と作戦助言を最大限供与するし、自らは制裁による経済戦、米官民あげての情報宣伝戦を進めるのである。この戦争はアメリカの母親を悲しませることがないので、いつまでもつづけることができる夢の戦争なのである。

このような戦争を宣言したばかりであったから、2日後にウクライナがロシアに譲歩した停戦条件を提示したことはアメリカとバイデン大統領にとって、到底容認することのできないことであったのである。ウクライナの中立化は最初からアメリカはみとめなかったし、クリミア半島のロシア領有を認めることもアメリカとしては到底受け入れることのできないことであった。

戦争は新しい勢いでひろがり、4月26日、アメリカのオースチン国防長官は、キエフで「ロシアがウクライナ侵攻のようなことをできない程度に弱体化することを望む」と述べ、バイデン大統領の戦争目的を再定義した。

米国は東部戦線に向かうウクライナ軍に対して、東欧に保管されていた旧ソ連軍の戦車を新たに提供することを決めた。さらなる大型のりゅう弾砲を供与することも決める。ヨーロッパ諸国も競って、新型兵器の供与をおこなった。

5月はじめ、マリウポリが陥落した。以後は、ロシア軍はルガンスク州の完全制圧をめざして、月末には、最後にのこった州都セヴェロドネツクの陥落に力をつくしている。南部ヘルソン州ではウクライナ軍がロシア軍を押し戻している。

ここで、6月1日バイデン大統領は『ニューヨーク・タイムス』に寄稿した。バイデンは「アメリカのゴール」は、「民主的で、独立した主権国家にして繁栄するウクライナがさらなる侵略を抑止し、自ら防衛するだけの手段をもってのこることだ」と書いている。「この戦争は最終的には外交を通じてはっきりと終ることができる」。武器をおくるのは、交渉のテーブルで可能なかぎり最強の立場に立てるようにするためだ。明らかにバイデン大統領は自分のワルシャワ演説を否定して、停戦派からの批判をそらせようとしているのだ。

いずれにしても、いまは即時停戦のために世界的圧力を加えるべきときである。