コラム

【市民連合の要望書10】近藤浩二さんインタビュー「地域社会の未来は、国から与えられるものではない。地域の人々が自ら選択していくもの。」

立憲野党の政策に対する市民連合の要望書

10.分散ネットワーク型の産業構造と多様な地域社会の創造

エネルギー政策の転換を高等教育への投資と結びつけ、多様な産業の創造を支援する。地域における保育、教育、医療サービスの拡充により地域社会の持続可能性を発展させる。災害対策、感染対策、避難施設の整備に国が責任をもつ体制を確立する。中小企業やソーシャルビジネスの振興、公共交通の確保、人口減少でも安心して暮らせる地域づくりを後押しする政策を展開する。

 

近藤浩二 (こんどう・こうじ)

1940年香川県生まれ。京都大学/同大学院理学研究科修士課程修了。1986年「非核の政府を求める香川の会」発足。2004年「九条の会かがわ」呼びかけ人に加わる。香川大学学部長を経て1997年に香川大学長に就任。06年「希少糖生産技術研究所」を設立。2010年レアスウィート社設立。一般社団法人希少糖普及協会 代表理事を経て、現在は同協会顧問を務める。

 


「安保法制を廃止し立憲主義を回復する市民連合@かがわ」代表として、地元香川で長く市民運動に関わってきた近藤浩二さん。香川大学学長時代から、同大で研究開発された日本初の希少糖の普及にも取り組んでいる。江戸時代の昔から続く伝統的な糖産業が最新の研究に結びつき、地域発の新しい産業を生み出した。その創造の源には何があったのか。地域社会の可能性を広げるためのヒントをお聞きした。


 

——近藤さんは香川大学に教員としてお勤めになっていた70年代から、地元の市民運動に長く関わっていらっしゃったそうですね。

大学で教員組合の書記長をしていた70年代に、学長だった前川忠夫氏を知事選候補に擁立するのに奔走し、革新知事の実現を目指す学者文化人の会に参加したのが始まりでした。86年には「非核の政府を求める香川の会」をよびかけ発足。その後大学で管理職を務めていた間は、行政の一端を担う立場として市民運動の世話人などからは身を引いていましたが、学長退任後の04年には「九条の会かがわ」の呼びかけ人の一人として加わりました。国民学校に入学した年に日本国憲法が公布され、翌年施行された私にとっては、日本国憲法とともに成長してきたという思いです。憲法擁護と非核は、私の原点です。

——一方で、香川大学長時代から関わっていらした「希少糖」の普及にも奔走されています。今、大きな注目を浴びている希少糖とはいったいどのようなものなのでしょうか。

希少糖とは、自然界に微量しか存在しない、文字通り極めて珍しい糖のことです。香川大学農学部では、80年代からこの希少糖の研究を続けていました。手に入りにくい糖なので研究を継続するのも大変な苦労がありましたが、91年に同大学の何森健先生(香川大学名誉教授)が、大学敷地内の土壌から、希少糖「プシコース」を生み出す新しい酵素を発見。それによって、これまで極めて珍しくそれゆえに高価だった希少糖を大量生産することが可能になったのです。

研究が進む中でわかってきたのは、希少糖「プシコース」はカロリーはほぼゼロに近いのに、普通の砂糖の7割程度の甘みがあること。そのうえ、食事と一緒にプシコースを摂ると食後の血糖値の上昇を抑え、体脂肪の蓄積抑制や糖尿病予防など、生活習慣病の予防効果も期待できます。人工甘味料は高甘味度でカロリーゼロですが、食後の血糖値上昇抑制や体脂肪の蓄積抑制などの効果を持つものはありません。自然界には存在しない人工甘味料と違い、希少糖はもともと自然界に存在する糖ですから、安心して食生活に取り入れることができます。この希少糖が、今、私たちの地元の新しい特産品として新たな可能性を広げているのです。

——香川県といえば、高級和菓子に使われる「讃岐三盆糖(和三盆)」の産地としても有名ですね。

そうなんです。香川県では「讃岐三白」、といいまして、砂糖と塩と綿、つまり三つの白いものが、特有の産物として古くから知られていました。つまり、糖は香川県にとって伝統的にも身近な風土であり文化だったんですね。世界的に注目を浴びている希少糖がこの香川の地から生まれたのも、そのような歴史があったからこそでしょう。そして、日本各地、どの土地にも古くから伝わって大事にされてきた産業や文化があるはずです。国や自治体ももっと、それらが新しく見直されて発展していけるような政策を積極的に行ってほしいですね。地方が元気でなければ日本も元気になりませんからね。

——地域の伝統的な産業が、新たなステップを踏み出し成長していく。そのきっかけが大学から生まれたというのが興味深いですね。

香川大学では80年代から希少糖の研究をしてきたわけですが、全国でみても、希少糖の研究をしている大学というのはほとんどなかったと思います。希少な糖ですから、研究のために純粋な希少糖を1g精製するだけでも数万円するほどの費用がかかります。60年代にブドウ糖から果糖をつくる酵素が発見され、すでに果糖が大量生産できるようになっていましたから、そんな状況で、自然界がわずかしか作らない希少糖は、特に必要とされているわけでもない、研究しても「役に立たない」ものと思われていました。それゆえに研究者も非常に少なかったのです。

それでも、当時の国公立大学にはまだそのような研究にお金をかける余裕がありましたし、香川大でも地道な研究が続けられていました。その結果、前述したように91年に希少糖を作る酵素が発見され、希少糖が生産可能になったことで研究もさらに進んだのです。大学内でもこの事業に力を入れようと、香川大学希少糖研究センターを設立。まだ事業として成功するかどうかもわからない中でしたが、人類の健康に役立つ希少糖を世に広めることは社会的な意義があると信じて、地元の人々も立ち上がり、それぞれのネットワークをつなげて仲間を増やしていきました。

伝統ある香川県の製糖文化が生んだ、新しい糖の誕生、ということで、県の期待も大きく、その後県独自の研究費もおりるようになりました。加えて、県の後押しで、文部科学省の知的クラスター創成事業にも採択されたのです。地元市民と大学が牽引車となって、香川発の文化事業と産業を盛り上げ、それを自治体が応援する。そういったチームワークが実現できたことは大きかったと思います。

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——一方で、地方大学は2004年の大学の独立行政法人化制度以降、予算縮小などで窮地に立たされていますね。

制度導入以前は、大学の運営費は、国の国立学校特別会計に組み入れられ、一般会計のように毎年変動する裁量的経費とは区別されていました。これは、景気などに影響されず、規定の予算を使うことが義務づけられているものです。しかし、法人化によって大学運営交付金は一般会計に組み込まれました。導入当初は、むしろそのことによって、大学は独自の裁量で、運営交付金を自由に使うことができると言われていましたが、実際には、大学の経営改善を促すという目的で、毎年一律1%~2%に相当する額が減額されるというしくみになりました。

かつ、それらの交付金は、文科省の評価によって配分されることになっています。大きな大学なら研究者も多く設備もありますから、評価の高い研究を出すこともできる。けれども設備も少ない地方の大学はより厳しい状態に置かれてしまいます。研究のための資金も、研究計画を出して評価が高いものに配分されるしくみです。地方大学の研究者が使えるお金は、法人化以前と比べて10分の1ほどになったとも言われています。

教育研究に効率主義を導入すること自体に問題があると思います。あらかじめ成果が保障されている研究しかできないような状態では自由な発想は生まれないし、常識を越える発見も生まれません。日本の科学研究においても革新的な研究や後世に評価されるような研究が失われるのではないかと思いますね。

——地方の学術文化を担う大学が活性化され、地元の人たちを巻き込んでいくことが、地域の活性化、持続可能な創造に繋がるのかもしれませんね。

国から天下ってくる、与えられた計画をもとに何かを始めても、結局長続きしないし成功することも少ないのではないでしょうか。地方の学術文化を担うのは大学です。各都道府県にある国立大学には、規模の違いはあっても、研究施設があり、新しいアイディアが生まれる可能性もあります。新しい可能性が人を惹きつけネットワークを広げていくのです。

東京や大阪などの大都市に頼る経済ではなく、自分たちだけで経済を支えられる産業をつくるためには、自治体が率先して、地元の大学や一般市民と一緒に、今ある地元の文化や特産を生かす形で広げていくこと、地域の人々自らがその可能性を生み出し、自分たちで選択できる状況を作っていくことが大切だと思います。

——政治においてもそれは同じですね。近藤さんは、164月に「安保法制を廃止し立憲主義を回復する市民連合@かがわ」の発足に加わり、香川県内の野党の参院選での共闘と統一候補の実現を呼びかけておられますね。

地域における市民連合は、夢のある政権構想を示し、野党と市民が合意できる政策提案を担う中央の市民連合と異なり、野党間で合意できる「ただ一人の統一候補」を選び、野党の支持層を超えて保守層や無党派層、政治に無関心な若年層に働きかけ、選挙に勝利すること、政治地図を塗り替えることが使命です。

地域の市民連合は資金もなく、専従者もいない、実際の行動力を持たない団体が多いため、講演会や学習会などの企画や統一行動の提起が主にならざるを得ません。しかし、そのような活動を通して、政治が変わることの宣伝、政治が変わるのではないかという夢を与えることが重要だと思うのです。「嘘とごまかしの政治」から「真理と真実に基づいた政治」へ。そのシフトチェンジを地元から、起こしていきたいと思います。