コラム

【市民連合の要望書2】町田彩夏さんインタビュー「『イライラ』を手放さない。社会変革は問題を発掘することから。」

立憲野党の政策に対する市民連合の要望書

2. 民主主義の再生

主権者が、自分たちの生きる公共の場をどのように作り出すか自由闊達に議論し、決めていくという民主主義を取り戻す。そのために、国会の行政監視機能の強化、選挙制度の見直し、市民参加の制度の拡充、学校教育における自由な主権者教育を実現する。また、地方自治体の自由、自立を確保するために、中央省庁による無用な制度いじり、自治体の創意工夫を妨げる統制、操作、誘導を排し、一般財源を拡充する。

町田彩夏(まちだ・あやか)

千葉県生まれ。政治アイドル。高校時代は18歳選挙権の実現を目指す「Teen’s Rights Movement」の立ち上げや「女子高校生未来会議」の発起人などを務め、大学時代には出版社が主催するアイドルオーディション「ミスiD2016」で選考委員個人賞を受賞。若手女性に向けた政治トレーニングを行う「パリテ・アカデミー」の中級トレーナー。現在は都内の大学院でジェンダー論を専攻している。

 


「政治アイドル」という肩書きは、おそらく日本でただひとり。中学1年生で「バスの時刻表の明示」を公約のひとつに掲げ生徒会役員選挙に立候補し、高校1年時には、元男子校だった出身高校で創立以来初の女子生徒会長に。「昔から、課題を見つけて解決するのが好きだった」と話し、いずれは政治の道に進むことも見据える町田彩夏さんに話を聞いた。


 

ーー「政治アイドル」を名乗るのようになったのは、いつからですか?

20歳になった頃です。講談社が主催する「ミスiD」というアイドルオーディションを受けたんです。新しい時代をサバイブしていく多様な女の子のロールモデルを発掘するオーディションで、私は「政治」を自分の得意分野としてアピールしました。

高校生の頃から、もっと日常の中で「政治」を語れるようにしたい、自分と同世代の人たちに政治や社会に興味をもってほしい、と考えてきました。「ミスiD」で選考委員個人賞を頂いて、「政治」と「エンターテインメント」を掛け合わせれば、もっと幅広い人に興味を持ってもらえるんじゃないかな?と考え、「政治アイドル」という肩書きで活動をはじめました。

アイドルという言葉は、「可愛いくて若い女性」というイメージが強いですよね。ミスiDのステートメントの中に「誰かの明日を元気にできれば、それはもう誰かのアイドル」という言葉があります。私にとってのアイドルの定義はこれで、自分自身の存在を、誰かひとりでもそういう風に受け取ってくれる人がいる限り、私は一生「アイドル」として生きていきたいと思っています。特に「政治」は女性が排除されてきた世界ですから、それに「アイドル」を付けることの奇妙さや面白さを気に入ってますし、それこそ30歳を過ぎると「もうアイドルは卒業したら?」という雰囲気もありますが、そういう規範も含めて抵抗していきたいと思っています。

ーー町田さんは男子校から共学になった中高一貫校に入って、女子として初めて生徒会長になったんですね。

中学1年生の時から生徒会の一員として活動してきました。私の通っていた学校は最寄り駅からバスに乗るんですが、学校側が出している時刻表通りにバスが来ないことがあって、これをどうにか解決したいと考えたんですね。だから公約の1つに「バスの時刻表の明示」を掲げて、選挙の末、生徒会役員になりました。

その後、中学3年間生徒会に携わった上で、一役員としてでは変えられない現状があると考え、高校1年生で生徒会長に立候補しようと決めました。届けを提出しに行ったときに、選挙管理員会の教員から言われた「高1で女のくせに生徒会長に立候補するなんて生意気だ」という言葉は、私が女性差別を認識した原点の1つです。

生徒会で取り組んだことは色々あります。特に記憶に残っているのは制服に関する内容ですね。学校指定だったカーディガンを濃紺ならメーカー問わず着用可能にしました。男女で制服にかかる費用が異なることに問題意識を持ち、直接メーカーの人と話し合いの場を設けることで、女子のみが指定されていた靴下の価格をさげることもできました。

生徒から強い要望があった「購買にアイスクリームを置く」というのも実現するまでかなり大変でした。「アイスは栄養がない」とか「アイスをレンジで溶かして遊ぶ生徒が出てくる」という理由で生徒指導の先生たちが反対したんですよね。こうしたやや屁理屈ともいえるようなものにも、ひとつずつ根拠を持って反論できるようにリサーチをしました。家庭科の先生に「栄養」とは何を指すのかを聞きに行き、またすでに購買で売られているヨーグルトやプリンを電子レンジにいれている生徒はいないことから、その危険性は少ないのではないかというようなことを根拠に説得して回りました。

こうした活動の中で、共学化に伴って新校舎を立てるとき、食堂を作るかどうか議論になったことを知りました。結果的に食堂は作られなかったのですが、その理由が高校生の私でも驚くようなものでした。先生の中に「母親の手作り弁当でこそ、子どもは健全に育つ」と主張する人がいて、その人自身も毎日欠かさず、部活の朝練用と昼食用でお弁当を2つも持たせてもらってたそうです。

今はほとんどが共働きで、ひとり親家庭もいる。みんながみんな「お母さんの手作り弁当」を持って来られるわけじゃないですよね。性別役割分業に基づいた実態に合わない規範を押し付けて、みんなが必要とする食堂を作らないのは、本当に本末転倒だなと思いました。

ーーなんだか、自民党政治の縮小版みたいですね。高校の外にも活動を広げて、大学時代に「政治アイドル」となるんですね。就職活動での経験を、のちに「#MeToo」のハッシュタグで発信されていましたね。

大手広告代理店の面接でパワハラやセクハラを受けたことは、大きな転機となりました。

政治アイドルとして活動をしていく中で、広告で社会の課題を解決することに興味を持ちました。何人かのOBOGに話を聞き、選考を受けることになりました。私は訳あって2回分の選考を受けたので、一般的な選考であれば5回の面接で済むところを10回受けさせられているんですよね。

その中の1回目の役員面接で「高橋まつりさんがなくなったことをどう思いますか?」と聞かれたんです。役員がこの場でその質問をする意図を測りかねて、一瞬答えに窮しましたが、「過重労働はあってはならないことだ」とした上で、「ただその一方でたくさん働きたい人もいるだろうからバランスをとることが必要だ」と答えてしまいました。この時、当たり障りのない返答をしてしまったこと、それ以上に役員に対して厳しい指摘と反論ができなかったことを今でも悔いています。

その他にも、選考が進んでいく中で、どうやら「私のことを気に入らない偉い人がいるらしい」ということを知りました。何度目かの面接の際に、男性の局長クラスの面接官から「僕は君のことを何度も見たことがあるけれど、この会社に入りたいのならば」と前置きされた上で、「スカートが短い、化粧が濃い、あなたみたいに綺麗な人の頭の回転が早いとこっちが面食らう、アイドル自慢をするな、生意気だ」という趣旨のことを言われました。念のためお伝えしておくと、スカートの丈も化粧もごく一般的なものですし、特段アイドル自慢もしておりませんし、わざわざ生意気な話し方などもしていません。

そこまで言われたので、通算10回目にして2回目の役員面接では、友人からかなり大きめのサイズのリクルートスーツを借り、眉毛や唇などもともとの顔立ちがはっきりしていてノーメイクでも目立つパーツをコンシーラーなどで消しました。「綺麗で頭の回転が早い」ことが問題ならば、その真逆を演出する必要があると考えたからです。

出来るだけか細い声で、「難しいことは私にはわかりません」というスタンスで受け答えをしていきました。合同面接だったのですが、隣でほかの就活生がハキハキと自己PRしている姿を見て、ものすごく悔しかったのを覚えています。ふと入り口に目をやると、先に述べた局長クラスの面接官がニコニコしながら私のことを見ていて、こうやって人を支配するシステムが作られているのだと悟りました。

その面接でもまた高橋まつりさんに関して驚くような発言がありました。「報道されている事実が全て事実だとは思っていない」という内容を、労働環境改革本部のトップにたつ役員が口にしたのです。高橋まつりさんの件を受けて策定された「労働環境改革基本計画」には、ハラスメント0(ゼロ)を謳っているのに、就活生に対する面接の場でこれだけの権力を振るう社の姿勢に疑問を抱きました。

面接が終わったあとの、人事の方とのやりとりも忘れられません。「今日はいつもより顔色が悪いけれどどうしたの? 女性は月の中でバイオリズムがあるからある程度は仕方ないかもしれないけれど役員面接に体調を合わせられないのは社会人失格だから。」と言われました。顔色をよく化粧すれば「女を売りにしている」と言われ、目立たないように工夫すれば「体調が悪いのか? 社会人失格だ」という彼らの身勝手さに強い憤りを感じました。

エレベーターホールに一人送られたあとの最後の会話は「私たちのこと恨んでるとかない?」という一言でした。恨まれるようなことをしてる自覚があるから、そんな言葉が出てくるんだろうなと。

人がひとり命を落としたというのに反省を見せることなく、あまつさえ就活生に対してパワハラやセクハラを繰り返す役員の姿勢には、心底絶望しました。表向きの「我が社は変わります」という耳障りの良いキャッチフレーズを聞くたびに、広告の力を使う方向はそっちじゃないよ、と言いたいです。

その後、高橋まつりさんのお母さんである高橋幸美さんのTwitterアカウントを拝見したり、著書を拝読したりしていくうちに、面接で役員からの問いかけに答える形で「私は死なないで働けます」という趣旨のことを言ってしまったことを、心の底から後悔しました。どうしてあの時、役員に言い返せなかったのだろう。「内定」が目の前にぶら下がっている状況だったとしても、OBOG訪問した相手の顔に泥を塗ってしまうことになったとしても、それでもちゃんと批判しなければならなかったと、何度も思い返しています。申し訳ない気持ちでいっぱいです。

この一件があってから、おかしいと思ったのならば、どれだけ権力差があろうと批判すべきことは批判するということを常に心に置いています。その批判によってバッシングされたり、自分にとってマイナスのことが起きる可能性があったとしても、誰かの尊厳を踏みにじることだけはしたくないからです。

ーーもっとオープンに政治やフェミニズムについて語れる社会にしたいと活動されていますが、町田さんが大事にしていることは何ですか?

人の意識は、良くも悪くも社会制度や構造によって規定されるものなので、女性差別や人種差別が許されない仕組みにするのが大事ですよね。法制度だけじゃなく、あらゆる差別や不均衡を生んでいる社会構造を変えていくために、意思決定機関から女性が排除されている現状を変えていかないといけないと思います。

私はわりと些細なことでもイライラできるタイプなんです。イライラできるのは、まだまだ改善できる余地があるということでもあって、こういう価値観を持っているとそれなりに疲れるのも事実だけど、それでも手放したくないと思っています。「怒り」は、女性が奪われてきた感情のひとつだと思っていて、ただまっとうに意見しているだけでも、ヒステリーだとか感情的だとかそういうレッテルを貼られ、怒ることを牽制されてきました。だからこそ、私はこの感情を大切にしたい。私の姿を見たひとたちが「怒っていいんだ」って思ってくれたらうれしいです。

社会を変える第一歩になるのは、まだ見えぬ問題を発掘するところ。だけど最初の一声をあげることは、やっぱり大変なんですよね。私だから言えること、言わなきゃいけないことを、これからも言っていきたいと思っています。