【市民連合の要望書13】田中美穂さんインタビュー「『日本はなぜ核兵器禁止条約を批准しないの?』 この、シンプルな疑問を持つ人をもっと増やしていきたい。」
立憲野党の政策に対する市民連合の要望書
13. 平和国家として国際協調体制を積極的に推進し、実効性ある国際秩序の構築をめざす。
平和憲法の理念に照らし、「国民のいのちと暮らしを守る」、「人間の安全保障」の観点にもとづく平和国家を創造し、WHOをはじめとする国際機関との連携を重視し、医療・公衆衛生、地球環境、平和構築にかかる国際的なルールづくりに貢献していく。核兵器のない世界を実現するため、「核兵器禁止条約」を直ちに批准する。国際社会の現実に基づき、「敵基地攻撃能力」等の単なる軍備の増強に依存することのない、包括的で多角的な外交・安全保障政策を構築する。自衛隊の災害対策活動への国民的な期待の高まりをうけ、防衛予算、防衛装備のあり方に大胆な転換を図る。
田中美穂(たなか・みほ)
カクワカ広島共同代表。福岡県北九州市出身。1994年生まれ。西南学院大学在学中に米国へ1年間留学。現在はメーカーに勤務しながら、ICANキャンペーンニュースの翻訳やカクワカの活動を続けている。
「世界や日本の核兵器問題について、もっと知りたい」。核兵器のない世界の実現に向けて、日本や世界の核政策など、さまざまな情報をSNSなどで発信している広島の若者たちがいる。その名も「カクワカ広島(核政策を知りたい広島若者有権者の会)」。共同代表の田中美穂さんに話を聞いた。
――福岡県北九州市のご出身だそうですね。広島でカクワカの活動に関わるようになったのは何がきっかけだったのですか?
広島には就職をきっかけに引っ越してきて、今年で5年目になります。現在はメーカーで技術書翻訳の仕事をしています。核兵器の問題に関しては、毎年テレビで見る広島や長崎の平和式典などで知ってはいましたが、自分に何かできるのでは、という発想をしたこともありませんでした。広島に来てからも、最初の1年半くらいは仕事や生活に慣れるので精一杯で、特別そのことを意識したこともなかったんです。
広島に来て2年目の夏にICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の国際運営委員である川崎哲さんの講演を聴く機会がありました。以前から、国際的な仕事に対する憧れがあったのと、歴史を学ぶことが単純に好きだったので参加したのですが、川崎さんのお話やICANの活動にとても感銘を受けて、講演後に川崎さんと直接お話できる機会があった際に、自分にも何かできることはないでしょうかと相談したのです。すると川崎さんが、「それならば、ICANのニュースを英語に翻訳する仕事をやってみますか?」 と言ってくださって。お手伝いをするようになりました。
同じころ、広島市にあるハチドリ舎というソーシャルブックカフェに集う人たちを中心に、広島からも核兵器反対の声をもっと上げよういう若者の動きが始まっていました。2018年の11月に、私もそのグループに参加するようになり、2019年1月に、現在の「カクワカ広島」が誕生しました。今年でちょうど3年目を迎えたところです。ハチドリ舎や友人同士のネットワークを通じて集まったメンバーは、現在15名ほど。20代が中心です。
――カクワカではどのような活動をされているのですか?
「核政策を知りたい広島若者有権者の会」の名の通り、国が現在行っている核政策とはどんなものなのか。世界の中で今、日本はどのような立ち位置にあるのかを、有権者として議員のみなさんに直接問いかけていく活動をしています。「核廃絶」というと少し固くて難しいし、もう少し気軽に、身近な問題として多くの人に参加してほしいという気持ちがあります。「核のことをわかりたい」ので「カクワカ」、若者の「ワカ」、そして核廃絶の動きを沸かせたいという思いも込められています。
現在は、国会議員の人たちに会いに行ってお話を伺い、それぞれの核政策に関する考えをHPやSNSで公開していく活動が中心です。まずは広島や中国ブロック選出の国会議員のみなさんの事務所を調べて、電話をしたり、手紙やメールを書いたりするところから始めました。いきなりそんなお願いをして会ってもらえるかどうかも分からない中でやったので、最初は電話をするだけでもとても緊張しましたが、思いのほか、反応がよく、最初の1ヶ月で4人の議員さんと直接話をすることができました。事前にこちらが用意した質問をお送りし、会ってお話するときは録画や録音をし、文字起こしをして、報告をカクワカのHPやSNSに掲載しています。
活動を始めた年には参議院選挙があったので、カクワカからも候補者に質問状を送り、メディアにも取り上げていただきました。選挙に行こうと思っても誰に投票して良いのかわからない、という若い人も多いはず。そんな人たちのためにサイトも見やすく、わかりやすく構成し、投票の判断に役立ったという意見もいただけました。特に、SNSでの反応はとても良かったですね。今年行われる衆議院選挙でも、現職議員や候補者の方たちとつながって、多くの有権者に核政策の現状を、より身近な問題として関心を持っていただけるようイベントなども企画していくつもりです。
――田中さんが、核兵器廃絶の問題を「自分ごと」として捉えるようになったきっかけは何だったのですか?
かつての私は、広島といえば、「核兵器」というよりは、「原爆」のイメージで、過去の戦争のできごとだと思っていたし、広島のみなさんがどのように平和について考えて行動を起こしてきたか、その歴史についても何も知りませんでした。ただ、仕事で、引っ越したのが広島という都市だったという程度でした。
ICANがノーベル平和賞を受賞し、この問題を国際的に広げるための発信をしているのをみて、単純にカッコいいな、と憧れていて、最初はそのような興味から入ったわけですが、そこで良い出会いに恵まれたというのはとても大きかったです。しかし、私を大きく変えたきっかけになったのは、広島に来日されたサーロー節子さんの言葉でした。ただ平和を祈るだけではなく、頑張ってくださいと誰かに言うだけではなく、「一緒に頑張ろうと言ってほしい、一人ひとりが具体的に行動を」とおっしゃっていたんです。
私自身まだ何か達成できたと思えることなどないですし、これまで2年間やってきたことも、ときおり、本当にこれで良いのだろうか、「成果」は出せているのだろうかと考えて、迷ってしまうときもあります。そんなときにサーローさんの言葉を思い出すんです。今すぐ結果が出せていなくても、少なくとも私は、ICANのニュース翻訳やカクワカの活動を通して、具体的に行動できている、という感触がある。そしてそれはきっと間違ってはいない。そう思えるんです。サーローさんの言葉にはいつも背中を押してもらっています。
――2年間活動されてきて、1月の核兵器禁止条約発効をどのように受けとめましたか?
広島に原爆が投下されてから75年という長い年月を経て、ようやく核兵器禁止の条約が世界で発効され、核兵器が、国際法上違法と認められた。感動して鳥肌が立ちました。
二度の原爆投下という経験を持つ日本こそが、本来なら率先して核兵器廃絶運動の中心にいるべきではないのか。多くの人がそのような疑問を持っているでしょう。私もそうです。しかし、お会いする議員のみなさんにその問いをぶつけても、「日本が条約を批准することで核保有国や同じ〈核の傘〉の下にいる他の国々と分断されてしまう」「批准せずともゴールは一緒だから違うやり方で進めていく」というような答がかえってきます。日米の安全保障の問題を解決しない限り、核兵器に反対はできない、というけれど、その状況を変えるための積極的な外交努力がされているようには見えませんし、逆に、日本が条約を批准するといえば、同じような立場の他の国々にも大きな影響を与えられると思うのです。
「条約を批准したからといって、核兵器がなくなるわけじゃないよ」と言う人もいます。私たちもそれはよくわかっています。でも、条約発効はその長い道のりの重要な一歩であるのは確かだし、核兵器が国際法で違法となった今、条約に批准することで「私たちの国は核兵器に『NO』を唱えます」という立場を世界に明確に示すことができます。今の条約だってまだまだ完璧ではなく、よりよいものにするために、これから具体的な内容を作っていく段階です。その議論の場に、日本がいないのは、本当に恥ずかしいことです。
カクワカの活動も3年目に入りました。核兵器禁止条約の発効を大きなきっかけにして、さらに活動の輪を広げていきたい。核兵器廃絶の運動の歴史は長く、核兵器に関する集会やイベントの参加者の多くは年配の方々ですが、もっと若い人たちを巻き込んでいきたいのです。なぜなら、核兵器は今この瞬間にも世界に存在し、誰もがヒバクシャになる可能性があるからです。私の福岡の友人たちで、核兵器禁止条約のことに特に興味がなかった人たちでも、私がSNSなどで発信していくことで、その後ニュースなどで見たとき「ああ、これって美穂が言ってたやつだ」と思ってくれるかもしれない。それぞれが発信していくことは、微力でも必ず小さな影響を与えることができるんです。
広島・長崎の経験を持つ日本が、なぜ核兵器禁止条約を批准しないの? この、シンプルな疑問を持つ人がもっと増やしていきたい。かつての私がそうだったようにこの問題を特にこれまで考えてこなかった人も多くいると思います。世論が変われば政治も変わる。私たちは政治家へのアプローチを通して、より多くの人々と核兵器の問題を一緒に考え、議論できる場を作っていきたいと思っています。
カクワカ広島
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