コラム

【市民連合の要望書12】渡辺明さんインタビュー「半農半年金生活、ときどき市民運動。小規模でも続けられる農業を。」

立憲野党の政策に対する市民連合の要望書

12. 持続可能な農林水産業の支援

農林水産業については、単純な市場原理に任せるのではなく、社会共通資本を守るという観点から、農家戸別補償の復活、林業に対する環境税による支援、水産資源の公的管理と保護を進め、地域における雇用を守り、食を中核とした新たな産業の育成を図る。また、カロリーベースの食料自給率について50%をめどに引き上げる。

渡辺明(わたなべ・あきら)

北海道生まれ。大学卒業後、35年の会社員生活を経て早期退職。北海道空知管内の由仁町で「有氣農園ぼうけん親爺」の看板を掲げ、有機農業に取り組む。「戦争させない市民の風・北海道」事務局メンバーのひとりで、「南空知・戦争をさせない市民の風」「市民と野党の共闘を進める10区の会」立ち上げメンバー。

 


難病や体の変化を経験したことで「回復への道は食べることから」と、北海道・由仁町で有機農業に取り組んでいる渡辺明さん。安心して食べられる米や野菜を通じて、多くの人と「健康とはなにか」を一緒に考えていきたいという渡辺さんに話を聞いた。


 

——金融機関にお勤めになっていて、なぜ有機農業に関心を?

40代なかばの頃に「潰瘍性大腸炎」という難病に罹りました。安倍晋三元首相と同じ病気です。「なぜ自分が?」という思いと、医者から「治りませんよ」と言われたものの「治さないわけにはいかない」という思いから、テレビや新聞で目にする健康情報を手当り次第に試して、ジタバタしていました。その後、50歳を過ぎてから更年期障害による不定愁訴にも悩まされました。朝早く出勤して、遅いときには22時23時に帰宅、という毎日でしたから、いよいよ潮時かな、と思い始めました。

ちょうどその頃、自然食レストランを経営している知り合いが由仁町で野菜をつくるという話を聞きまして、「じゃあ僕、手伝います」と名乗りを上げました。農作業をやるならできるだけ早い方が良い、と思って、退職することにしました。

退職をして畑をやりながら、月に1回、東京にあるマクロビオティックの料理教室に通い始めました。マクロビオティックは、体に良いものを作って食べる、それも東洋哲学の「陰陽」に基づいた考え方で食生活を組み立てていく、というものです。

難病のことも、自分の体の変化も、環境や食べ物に相当影響を受けているのだろう、生活そのものを根本的に見直さないとダメだな、と思ったのがきっかけです。

 

——畑作業や農業には以前から興味があったのですか?

生まれも育ちも北海道で、学校の教員だった父も、仕事が終われば畑作業をしていました。私も、札幌で会社員だった頃から家のちょっとした空き地で家庭菜園をやっていました。妻はあまり興味を示さず、「勝手にやったら?」という感じだったんですが、妻も3年前に退職したので、少しずつ手伝ってくれるようになり、今は完全に主導権を握られています。

東京でひとり暮らしをしていた妻の母が、2019年の秋に札幌に転居してきました。「私はもう終わりかもしれない」と弱音を吐いていたのですが、一緒に農作業をするうちにめきめき元気になってきたんです。もともと、自然や畑が大好きな人ですから、体を動かすうちに筋肉もついて、今は「100過ぎまでは大丈夫かな」と言うようになりました。「土の力」ってすごいなあ、と。

妻とお義母さんは、平日は由仁町で過ごし、週末は札幌。私はずっとここで、アイヌ犬の「ホロ」と一緒にいます。

 

——つくった野菜は販売しているのですか?

最初の頃は、週に1度、札幌まで売りに行っていたのですが、けっこう大変で。今は、タマネギやジャガイモ、カボチャを中心に、ニンジンやダイコンなどの詰め合わせを「越冬野菜」として販売しています。運送料が高くなったので、札幌近辺は軽トラで運んで、それ以外の地域には宅配で送っています。畑自体あまり大きくないですし、自分の守備範囲で十分かな、と思っています。

秋には、稲刈り体験会や収穫祭をやっています。野菜を収穫して、一緒に料理をして、おいしくいただく収穫祭です。冬には餅つきも。いろんなつながりで知り合った方が遊びに来てくれます(米作りは現在お休み中です)。

家の前に看板を出しているんですが、それを見た人が時々「ここは何かやってるんですか?」と訪ねてきます。「有氣農園 ぼうけん親爺」の看板と、昨年春から「全希望者にPCR検査を」という看板も出しているので、不思議に思うのかもしれませんね(笑)。

食べ物アレルギーのお子さんを持つお母さんとのお付き合いもあって、子どもたちが遊びに来たり、貸している畑で作業をしに来る人がいたり。山の中で暮らしていると。普段ほとんど人がいないので、人を見るとうれしくなっちゃうというか(笑)。

 

——農業をやりながら市民運動にも関わるようになったきっかけは?

2015年に安保法制が強行採決されてしまい、深刻な事態になってしまった、と思っていたら、11月に「安保法制廃止と立憲主義の回復をめざす市民の風・北海道」が立ち上がりました。翌年には衆議院5区の補欠選挙が行われることになり、野党統一候補の応援に全力を上げることとなりました。その、野党間の政策協定を結ぶというところから参加させてもらい、そこからずっと関わっています。

私が大学生の時は学生運動の最後のほうで、会社員時代も何もしていなかったわけではないのですが、どうしても仕事中心になっていました。退職してからは、いろんな人と出会い、活動を広げています。

「市民の風・北海道」に参加している中で、同じ南空知に住んでいる人たちと「南空知・戦争をさせない市民の風」を作りました。

早期退職をして有機農業に取り組んで、私の生活は「半農・半年金生活、ときどき市民運動」という感じですが、今年は選挙があるので忙しくなりそうです。

 

——「理想の暮らし」ができている、という感じでしょうか?

100%自給自足、とはいかないまでも、できる限り自分の作ったもので生活できるようにしたいです。食べることだけでなく、自宅敷地に山林もありますので自分で木を倒し、薪にして暖をとっています。本当は家の修繕なんかもしたいんですけど、ノウハウがなくて(笑)。

昨年末に種苗法が改定されました。眼目は「種の支配」です。自家採種をさせない、という点が一番問題だと思います。市販されているものは固定種や在来種ではなく、自家採種できない「F1種」が多数です。味が良くて病気に強くてたくさん採れるように開発されたものですね。農業版の特許法みたいなもので、開発者の権利を保護しようというものですが、これまで認められていた農家の自家採種は開発者に許諾料を支払う必要があり、実質禁止されることになったのです。

自家採種は、いつかはやりたいと思っていました。しかし、下手にやるとお縄になる時代が来てしまいましたから、しっかり下調べをしようと思います。

 

——これから取り組みたいことはありますか?

農業を始めるとき、「6次産業化」というのも魅力的だな、と思っていました。生産(1次産業)、加工(2次産業)、販売(3次産業)を融合し(1+2+3=6)、生産者が加工から販売を手掛けるものです。農家レストランなどイメージしてもらえばいいと思います。

しかし、そんな簡単ではなく、1人や2人でできることではありません。

北海道は特に、本州と違って専業農家が多く、規模もどんどん拡大しています。農家の戸数が減る中、廃業する隣の農家から農地を譲り受けて、どんどん大規模化しているんです。北海道の平均耕地面積は約29ヘクタール、本州は2.2ヘクタールですから、10倍以上です。

ただ、2011年の東日本大震災や、今回のコロナ災害で、新規就農を考えている若い世代は増えてきていると思います。でも、農業に関心があってもハードルが高いですよね。最初から大規模にやれる人なんていないわけですから、小規模でも採算が取れるようにするにはどうすればよいのか、と考え続けています。

私のような半農半年金生活者はいいのですが、若い世代にはなかなか難しい。周りと協力し合いながら、6次産業が実現できればいいなと思うのですが。

2月で70歳という節目を迎えました。農業は75歳が限界じゃないかな、と思っています。この年齢になると、できることは限られてきます。ほかの人たちのお手伝いができればいいな、と思っています。田舎で暮らしたいという若い世代のきっかけづくりだったり、サポートだったり。生計を立てられるように一緒に考えたり。

家の敷地にある小さなログハウスを、少し綺麗にする予定です。ちょっと疲れた時とか、話し相手がほしい時とか、気楽に来られる場所にできないかな、と。

いろんな人が遊びに来られる場所になったら、みんなで活用方法を考えていけたらいいなあ、と思ったりしています。

 

有氣農園ぼうけん親爺

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