コラム

【市民連合の要望書14】大城章乃さんインタビュー「『自由の格差』をなくしたい。私の、あなたの、次の世代のために。」

立憲野党の政策に対する市民連合の要望書

14. 沖縄県民の尊厳の尊重

沖縄県名護市辺野古における新基地建設を直ちに中止し、環境の回復を行う。普天間基地の早期返還を実現し、撤去を進める。日米地位協定を改定し、沖縄県民の尊厳と人権を守る。さらに従来の振興体制を見直して沖縄県の自治の強化をめざす。

大城章乃(おおしろ・あきの)

那覇市生まれ。2014年に大学を卒業、東京から沖縄に戻り、市役所の臨時職員に。17年、ハワイ大学で修士課程を終了し、再び沖縄に。大学の非正規職員として留学コーディネーターを務めながら、辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票を求める「『辺野古』県民投票の会」メンバーとして活動。19年からドイツのフリードリヒ・アレクサンダー大学エアランゲン=ニュルンベルク博士後期課程在籍。

 


2019年2月24日に実施された、普天間飛行場の代替施設として国が名護市辺野古沖で計画している米軍基地建設のための埋め立て工事について賛否を問うた県民投票。一時は5つの自治体の首長が不参加を表明、最終的に「どちらでもない」を加えた3択となったにも関わらず「反対」が7割を超え(43万4273票)、辺野古新基地建設にはっきりとNOを示した。「『辺野古』県民投票の会」メンバーとして県民投票を求める活動を担い、現在はドイツの大学院で沖縄の米軍占領期における労働について研究する、大城章乃さんに話を聞いた。


 

——ドイツの大学院で何を研究なさっているんですか?

沖縄の占領期における「労働」について研究しています。ご存知のように日本の敗戦によって沖縄は米軍の占領下に置かれました。食べるため、商売のために農業を営んでいた人々は銃剣とブルドーザーによって農地を奪われ、生きる手段を奪われました。その大きな変化の中で人々がどのような選択をし、どのような葛藤を抱えていたのかについて調べています。

例えば、基地労働は他の仕事に比べて待遇が良く、米軍側は「技術の発展」「沖縄の自立のため」と謳っていて、人々も積極的に選んだとも言えるのですが、当時の基地労働者の手記やインタビュー記録などを通して見えてくるのは、そこにはやはり様々な葛藤があったということです。

英語を習得したり、アメリカ人、フィリピン人軍関係者との文化交流を楽しむ一方で沖縄人労働者として差別を受けたり、壮絶な沖縄戦を生き延びたにも関わらず、朝鮮戦争やベトナム戦争など、他国の戦争に加担してしまっていることへのうしろめたさや葛藤、贖罪の意識があったりして、その複雑な実相について書けたらいいな、と思っています。

 

——以前から、基地問題をテーマに研究なさってきたんですか?

いいえ、基地問題って、どこから勉強すればよいのかわからないし、すごく近づきにくいなと思っていました。奨学金を得てハワイ大学の修士課程に進み、沖縄について研究しようと思って調べてみると、先行研究の多くは沖縄戦や基地問題ばかり。「沖縄は基地問題だけじゃない」と素直になれない自分がいました。

たまたま取った新自由主義についての授業で、初めて非正規雇用の構造的な問題にふれる機会がありました。思い返せば、大学を卒業して沖縄に戻った私も市役所の臨時職員でしたし、周りも非正規の人が多かったんですが、当たり前すぎて深刻には捉えてなかったんです。でも、沖縄県は日本で最も非正規雇用率が高く、平均年収も低く、深刻な状況にあります。そのギャップを初めて意識して、「沖縄の非正規雇用」をテーマに論文を書きました。

紐解いていくと、沖縄で第三次産業がメインであることも、歴史的な経緯として沖縄戦や基地問題がつながってくるんです。修士論文には歴史的な背景を十分に書けなかったので、もっと勉強したい、とドイツの博士課程に進みました。日本と違って給与をもらいながら研究ができるのでありがたいです。

 

——県民投票を求める活動はハワイ大学から戻られてからですね。どんなきっかけで参加することになったのですか?

ある友人が県民投票の勉強会のチラシを持ってきて、「行ってみない?」と誘われたのがきっかけです。県民投票や基地問題について、深く理解していたわけでもなかったので、「まずは知ってみたい」という気持ちで参加しました。

勉強会の主催者で元SEALDsの元山仁士郎さん、司法書士の安里長従さんたちと話す中で、賛成/反対、というよりも、まずはみんなの意見を聞いてみよう、という姿勢に共感しました。スローガンは「話そう、基地のこと。決めよう、沖縄の未来」。若い世代へのアプローチとしてすごく大事だと思ったんです。

 

署名集めに必要な、請求代表者になってくれる人を探すことから始めました。18年5月23日から署名集めを開始。有権者の1/50にあたる約2万3000筆が必要でしたが、私たちは1/10にあたる11万5000筆を目標にしていました。

 

私自身、政治的な話は緊張するし、自分のしていることが分断につながってしまうのではないかという恐れもあるし、対話も簡単ではありません。賛成でも反対でも、みんなそれぞれ意見や信念があります。「建設的な議論」を目指すべきなのかわかりませんが、いずれにしても、この問題を話し合うのは難しい。

 

でも、若い世代に「自分の意見を持っていいんだよ」というメッセージを伝えたかった。大学生と政治家の討論会をセットしたり、投票権のない世代にもこの問題を知ってほしくて街頭でシール投票をやったりしました。元山さんがハンストをやってる時に、高校生が「ニュースで見ました」といって来てくれたのも、すごくうれしかったです。

県民投票の直前には、機運を盛り上げようと「県民投票音楽祭」を開催しました。県民投票から1年後には、名前を変えて「2.24音楽祭」をやったんですが、昔から曲を聞いている同世代のバンドが出演してくれたり、あるラッパーの人は、MCで「去年も出たかったんだよね」と言ってくれました。基地問題や政治が絡むのに、同世代の人たちと共有できたのが、すごくうれしかったです。

 

——基地問題についてアクションを起こしたり、研究活動を続ける原動力はどこから来ているのですか?

沖縄に暮らしていると、基地の存在を感じない日はありません。それは良い感情ではないです。でも、目をつむっていても避けられない。この感情を、私自身ももう感じたくないし、次の世代にも残したくない。

 

私が基地問題に取り組むのは、「自由の格差」を是正したいからです。

沖縄の人々は、本来、ほかのことに費やせるはずの時間も労力も思考の創造性も、奪われてしまっている気がするんです。

基地問題に多くを費やさなければならない沖縄の政治、ヘリの落下物のために避難訓練をする子どもたち、不安と心配が尽きない保護者たち、歴史的経緯の中で形成された産業構造のもとで働く労働者、進学や就職など将来を描く時にいろんな制約に直面する若者たち。

 

本土の人たちの理解が得られないがために沖縄に基地が集中している。そのことによって生じている「自由の格差」を、日本という国に住む人としてどう思うのか、どう改善していくのかと、日本の政治家、そして有権者に問いたいです。「日本の安全保障」のために「沖縄の自由」が犠牲になっている、という構造を変えたいです。

 

沖縄が県民投票で投げかけた「日本の基地問題をどうするか?」という声に対し、本土からの応答は残念ながら聞こえてきません。そのために、47都道府県議会、1741区長村議会に陳情書を送る活動をしています。

本土の人は沖縄の過剰な基地負担について感じにくいと思いますし、日本政府は普天間飛行場の移設先について名護市辺野古沖が「唯一の解決策」と繰り返しています。この問題がすぐに解決するとは思っていませんが、日本各地で議論できる場所が増えればいいな、と思って取り組んでいます。

 

私は、日本という国民国家に生きるひとりとして、参政権を持つひとりとして、沖縄の人たちが、本土の人たちと同じ自由を手にできるようにしたいんです。

同時に、外国人、在日コリアン、セクシュアルマイノリティ、非正規労働者、障がいのある人々から奪われている自由に目を向けること、構造的な差別による「自由の格差」を少しでもなくせるよう行動していくことも、参政権を持つひとりとして、責任があると考えています。

 

 

辺野古新基地建設を止める新しい提案実行委員会

2021年2月23日(火・休)に辺野古県民投票から2年をテーマに、オンラインシンポジウムを行う予定。

 

2.24音楽祭