コラム

【市民連合の要望書8】町田ひろみさんインタビュー「子どもを大切にする社会をつくること それこそが経済政策」

立憲野党の政策に対する市民連合の要望書

8.子ども・教育予算の大胆な充実
出産・子育て費用の公費負担を抜本的に拡充する。保育の充実を図り、待機児童をなくし、安心して働ける社会を実現する。教育予算を拡充し、ゆとりある小中高等学校の学級定員を実現する。教員や保育士が安心して働けるよう、待遇改善をすすめる。教育を受ける機会の平等を保障するために、大学、高専、専門学校に対する給付型奨学金を創設するとともに、大学、研究機関における常勤の雇用を増やす。学問の自由の理念の下、研究の自立性を尊重するとともに、政策形成に学問的成果を的確に反映させる。

町田ひろみ(まちだ・ひろみ)

保育士。「安保関連法に反対するママの会」事務局。「市民連合」呼びかけ人。
ベビーマッサージインストラクター、育児アドバイザー、保育ナチュラリスト。2005年より2006年までハンガリー・ケストヘイ市「人生の樹学園」にて「日本」の授業を受け持ちながらハンガリー保育を学ぶ。

 


乳児・幼児を育てる親にとって最後の砦ともいえる保育園で働く保育士として、「安保関連法に反対するママの会」で活動する個人として、2人の子どもを育てる親として、真正面から社会を見据え、責任を果たそうとする町田ひろみさん。「ママの会」の記者会見から一貫して「命を大切にする政治」への転換を訴える町田さんに話を聞いた。



――町田さんは、どんな子ども時代だったのですか?

電車も走ってない田舎町に生まれました。外面のいい父親と、母、妹の4人家族。マイホームも建てて、外から見ると幸せそうな家族だったと思います。でも、父は気に入らないことがあると「俺の言うことが聞けないのか!」みたいな感じで、モノが飛んでくることもしばしば。中学生の時にいじめに遭ったんですけど、父が怖くて学校を休むこともできませんでした。
外ではいじめに遭うし、家の中はすごく窮屈。父は「女に学問はいらん」という人でしたが、可能性を求めたくて地元の進学校に進みました。

高校2年生の時、難関私立大学の理学部に学校推薦を出せる、っていう話になったんです。なのに父は「女には学問はいりませんから」と。担任の先生は「お父さん、もったいないですよ」って説得してくれたんですが、父は首を縦には振りませんでした。
母から「女は資格を取らないと、ひとりで生きていけない」と言われ続けたのもあって、得意な数学を生かして教師になりたいと思っていました。だけど、大学には行かせてもらえませんでした。
それなら保育士かな、と、念のため転部できるよう4年制大学が併設する短期大学に進みましたが、今でも、学びたかったのに学べなかった、受験すらできなかった、という悔しさがずっと残っています。


――数学の教師になる夢を諦め、そのまま保育士に?

短大卒業間近の2年生の夏になっても、転部するか保育士になるか、決められませんでした。そんな時、大学生協の「平和ゼミナール」で初めて沖縄に行きました。
みっちり1週間、まだご存命だった阿波根昌鴻さんのお話を伺ったり、一坪反戦地主会の方やひめゆり学徒隊員だった方にお会いしたり、米軍基地問題についての講義を受けたり。地上戦が繰り広げられる中で住民が避難した「ガマ」にも入りました。引率してくれた方が、「ここで生活していたなんて実感がわかないでしょう。一度、電気を全部消してみましょう」と言って、懐中電灯を切ったんです。
真っ暗闇の1分間で、私の人生が変わりました。

足元から、ひたひたと押し寄せる恐怖。1分じゃなく、24時間、いつ終わるかもわからない生活を想像して、言葉にできない思いがこみ上げました。
ガマから出て、青すぎる青空を見て、心の底から「平和って、こういうことなんだ」って思ったんです。戦争のない世界って、当たり前のことじゃないんだ、って。その瞬間、「保育士になろう」と、気持ちが定まりました。
こういう青空を残したい。こういう青空のもとで生活できる平和を守りたい。うまく言えないんですが、子どもたちに伝えたいって思ったんですよね。


――まさに、日本国憲法の「平和的生存権」ですね。

沖縄でたくさんのことを学び、「幼児期における平和教育」をテーマに卒業論文を書いた私は、保育園で平和教育をやりたい!と思っていました。でも、配属されたのは0歳児クラス。幼児なら絵本の読み聞かせなどを通じて平和教育ができるんですけど、0歳児を相手に何をどうすれば…?と戸惑う中、ベテランの先輩は「0歳児って、話もできなくて何もできないように見えるけど、どんなに小さくても一人ひとりに人格があって、それを尊重しないといけないんだよ」と、教えてくれました。

その言葉に、「これが平和教育なんだ」って、ストンと落ちたんです。その子の人格を尊重し、きちんと接すること。私がどうしたいかではなくて、目の前にいる子どもがどうしたいのかを常に考えること。
それって、まさに今の政治に求められていることだと思います。
3月に一斉休校になり、子どもたちの「学ぶ権利」「遊ぶ権利」「仲間と過ごす権利」「休む権利」が奪われました。その中で、子どもたちは何を考えたのか、どうしたいと思っているのか、大人にどうしてほしいと思っているのか、当事者の子どもたちの視点に立った教育や政治が必要なんだと思います。
保育園でいえば、1948年に施行された最低基準が70年以上もほとんど見直しがされていません。そのこと自体、この国が子どもを大切にしていないことの表れだと思います。


――「安保関連法に反対するママの会」に関わるきっかけは?

意気込んで保育士になり、真摯に子どもと向き合ってきたと思いますし、組合活動も頑張ってきたんですが、あんまり現実は変わらないというか…。
2015年5月に安全保障関連法案が閣議決定された時、学校から帰ってきた娘に開口一番、「お母さん、私たち戦争に行くの?」って言われたんです。
「エッ!?」としか返せないでいると、娘が「社会の先生から『あなたたちが戦争に行く法律が可決されましたよ』って言われたんだよね」って。
私自身、小学校6年生の時に憲法を知って感動して、娘にも「日本には憲法があるから、色々あっても大丈夫だよ」って言ってきたんです。それが、「戦争行くの?私たち」って聞かれて、返す言葉が見つからなくて。

そんな時、たまたまFacebookで「安保関連法に反対するママの会」のページが「おすすめ」で上がってきたんです。発起人の西郷南海子さんが東京で大きなデモをやるためのお手伝いを募っていたので、すぐにメッセージを送りました。その後、結成記者会見を開いて、「だれのこどももころさせない」という合言葉も広まっていきました。

以前、「安保関連法案が廃案になるのがゴールですか?」って聞かれたことがあるんです。「 ママの会」としてはそうかもしれないんですけど、私のゴールは、誰も暴力に怯えない社会にすること。それは日本だけじゃなくて世界中の子どもたちが、戦争だけじゃなく、貧困や暴力に怯えないで暮らせる社会になってほしい、というのが一番の願いです。


――今の日本について、どう思いますか?

日本は、どんどん貧しくなっていると感じています。貧しいって、お金がないことだけじゃなくて、一人ひとりが心豊かに暮らせないことですよね。
株価とか、GDPとか、地域経済を回すこととか、それだけが経済政策じゃないと思う。教師や保育士の待遇を良くすることは子どもの命を守ることに直結しているし、少人数学級を実現するとか、高校や大学に入った後の奨学金だけじゃなくて、入試すら平等に受けられない今の制度も変えるべきです。子どものためにお金を使うことは、教育政策や福祉政策でもあるけど、それこそが経済政策じゃないの?って、最近すごく思っています。
子どもは社会で育てるもの。だから、子どもにお金をかけることは「社会」を育てることだと思うんです。
社会で優しく育てられた子どもたちは、社会を大切にする大人に育つのではないかと思います。だから、「子どもにお金をかけること」以上の経済政策はないと思っています。

安保関連法に反対するママの会