コラム

December-11-2020

【市民連合の要望書1】菱山南帆子さんインタビュー「民主主義は自分をアップデートしていくこと」

立憲野党の政策に対する市民連合の要望書

1.立憲主義の再構築
 公正で多様性にもとづく新しい社会の建設にむけ、立憲主義を再構築する。安倍政権が進めた安保法制、特定秘密保護法、共謀罪などの、違憲の疑いの濃い法律を廃止する。自民党が進めようとしてきた憲法「改定」とりわけ第9条「改定」に反対し、改憲発議そのものをさせないために全力を尽くす。日本国憲法の理念を社会のすみずみにいきわたらせ、公正で多様な社会を求める市民、企業、団体との連携をすすめ、安倍政権で失われた民主主義の回復に取り組んでいく。

菱山南帆子(ひしやま・なほこ)

1989年生まれ。東京都八王子市生まれ。中学1年の時から、イラク戦争反対などの市民運動を開始。現在、福祉施設職員として働きながら、「許すな!憲法改悪 市民連絡会」「解釈で憲法9条壊すな!実行委員会」「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」などで街頭宣伝を企画。

    


中学1年生でイラク戦争反対デモに参加。以来、安倍政権下で進められた安保法制、特定秘密保護法、共謀罪などに反対の声をあげ続けてきた菱山南帆子さん。デモや集会でよく通る声でシュプレヒコールをあげ、まっすぐな視線で憲法守れ! と訴えるその存在感は、共に街頭に立つ多くの人々を勇気づけ、リードしてきた。そんな菱山さんに、私たちが民主主義と憲法とどう向き合うべきかを聞いた。



——菱山さんが、最初に憲法や立憲主義を意識したのはいつだったのですか?

私は八王子で生まれ育ちました。私の祖母も子どものころ、八王子大空襲を経験し、戦争で自分の父、そして兄を失っています。それもあって、私が小さいころから繰り返し戦争の話をしてくれましたが、いつも「今の日本には憲法があるから、戦争は二度としないんだよ」と話してくれたんです。小学校3年生のときには学芸会で『ランドセルをしょったじぞうさん』というお芝居をやったことがありました。八王子空襲で亡くなった男の子の実話をもとにしたお話で、とても怖く、悲しい気持ちになりました。でもそのときも、今の日本には憲法9条がある、日本には戦争をしてはいけないルールがあるんだから大丈夫、と教えてもらって、とてもほっとしたんです。それが憲法との出逢いでした。
中学1年のときにイラク戦争が起こって、憲法9条があるはずの日本がまっさきにその戦争を支持したことにとてもショックを受けました。でも、おかしいことはおかしいと言わなければいけないと思ったし、黙っていたら私も加害者になってしまうと思いました。だからひとりで米国大使館のデモに参加し、3ヶ月座り込みをしました。そのときにさまざまな人との出逢いがあって、以降、さまざまな運動に参加するようになったんです。


——おかしなことにおかしいと声をあげる。シンプルなことですが、実際には声をあげる勇気を持てない人たちが多くいると思います。それなのに、中学生だった菱山さんになぜそれが出来たのでしょう。

たぶんわたしも、ひとりではできなかったと思います。小学校5年のときに、担任の先生がクラスメイトに対して、障がい者を差別するひどい言葉を言ったことに抗議して、仲良しの女子たちと話して、先生の授業を3ヶ月ボイコットしたこともあったんですが、そのときもひとりではなかったし、「権利の行使だ」と味方してくれる先生もいました。子どもだろうとなんだろうと、おかしいことにはおかしいと言って良いんだ、ということを学びました。
八王子では、圏央道トンネル掘削による高尾山の環境破壊に反対する住民運動も熱心に行われてきたし、特に運動をやっているという意識もなく、近所の人も当たり前に反対運動に参加している、そんな雰囲気がありました。学校の先生も、日頃から授業などで人権や差別の問題をきちんと教えてくれていた。そういった環境も良かったのだと思います。
しかし今の私たちの世代をみてみると、少子化世代というのもあって、なかなか周囲に仲間を見つけるのが難しくなっています。第二次安倍政権の7年8ヶ月で、憲法や立憲主義がないがしろにされ、私たちの権利や生活も奪われてきたと思いますが、その状態があまりに長く続いたことで、若い世代の政治や自分の権利に関する関心がますます低くなってしまっている気がします。この間で、政治に関心を失わせる構造が、作られてきてしまったんですね。だから私たちはまずそこから変えなくてはいけないと思っています。


——街頭宣伝も菱山さんたち若い世代が中心になって、さまざまな新しい試みを始めているそうですね。

街頭宣伝や集会も、国会前や官邸前でやるだけでなく、もっと地域に繋いでいきたいと思っています。最近、地元の八王子では、高尾山麓の美しい蛍が見られる場所を、残土で埋め立ててスポーツパークを作ろうという計画が進んでいるのですが、週末に高尾山に遊びに来る方たちに、ケーブルカーの下で声をかけて署名を行いました。自然を満喫して山を下りてきた方たちだから、共感もしてもらいやすくて、たくさんの署名が集まりました。
何よりも、私たち自身が楽しくないと広がりも作れないと思っているので、街頭宣伝もスピーチ一辺倒でなくて、音楽や歌を取り入れるなどの工夫をしています。例えば沖縄の基地問題についての街宣を行うときは、三線で沖縄の民謡を歌ったりカチャーシーで踊ったりしたんです。また、安保法制や共謀罪、緊急事態条項など、そのときどきの社会問題を、大きな紙芝居を使ってアピールしています。街行く人も、ただのスピーチだと通り過ぎてしまうような人も、紙芝居だと立ち止まってくれる。立ち止まりやすい雰囲気を工夫して作るというのも大事なんですよね。
自分も何か関わってみたい、声をあげてみたい、でもなかなかきっかけがつかめない。そういう人は、たとえばツイッターなどで、興味のある問題について、つぶやいてみるとか、ハッシュタグに乗ってみるのも良いと思います。私が関わっている市民連合や総がかり行動でもツイッターはみんなよく見ていますから、メンションで話しかけてもらったら会話もつながるし、ツイッター上で会話を交わしたあとだと、現場で初めて声をかけられても、初めて会った気がしないほど親しくなれるツールだと思います。
ネットは世の中を変える力があると思うし、ネットワークを広げる力もあると思うけど、私はやっぱり、実際に顔を合わせた人と人とのつながりが、すごく重要だと思っています。何か自分もやりたい、と思ったら、ぜひ、いろんな現場に来て、声をかけてみて、思いをまず伝えてほしいです。


——菱山さん自身は、これから先にどのようなビジョンを持っていますか?

今回、コロナ禍の中で気づいたことがあります。これまで私は、日中は福祉施設で働いて、夕方から市民運動の会議や街頭宣伝や、集会、その後の懇親会などで深夜に家に戻って、また朝5時半に起きて、仕事に向かい……という生活を続けていました。それが当たり前だと思っていたんですね。けれども、今回コロナ禍で、生活が激変。一時期、講演や集会、デモなども一時期は一切なくなって、思わぬ時間ができたんです。仕事を終えて夕方の6時には家に戻るような生活が、2ヶ月ほど続いたら、すごく体が楽になって……。その後また忙しくなってきたけど、もう前のような生活がキツくなっていることに気づきました。命と暮らしを大事にする社会を、と言いながら、私自身も人間らしさを奪われた生活をしていたんだな、と。
仲間を増やしたくても、誰も真似ができないような、誰にも真似させたくないような生活をしたって誰もついてきてくれませんよね。口では理想を言っても、実際には過労死寸前のような生活をしていたのでは何の説得力もない。今後の私は、誰もができるような、真似をしたいと思うような、立ち上がり方、声の上げ方を、自分の人生で実践していきたいと思っています。
これまでの運動は、どうしてもマッチョなところがありました。私自身も、それに乗らなければ意見が言えないと思ってきたところがあった。でも、たとえば、北原みのりさんたちがやっているフラワーデモなど、まずは辛い思い、苦しい思いをお互い受け入れて共有していくような、やさしい連帯と、抗議の形もある。こんなこぶしの挙げ方もあるんだなと学びました。運動にも若い人や女性が増えてきているし、大きな声を上げるだけではなく、その気持ち、わかるよ、と寄り添っていく、いろんな人の思いの受け皿になれるような、そんな運動を展開していきたいな、と思っています。
私は常に、自分をアップデートしていきたい。そして今の新自由主義的な社会に対しても、構造から覆すようなアップデートをしていかなければ。今、憲法を変えよと言う声が大きくなっていますが、変えていいと思うほど私たちは憲法を十分に使っているでしょうか。故・むのたけじさんは「憲法は見るだけの絹のハンカチではなく使って使いたおすぞうきんでなくては」とおっしゃった。私はこの言葉が大好き。憲法は掲げるだけの理想、理念ではなく、しっかりと実践していくものです。次の選挙は、その重要な第一歩になると思っています。