コラム

ツイッターデモの拡散力 人が集まれない時代の市民運動

ツイッターデモの拡散力 人が集まれない時代の市民運動

2020年5月17日(日)

 9日からツイッター上で「#検察庁法改正案に抗議します」という投稿が相次ぐ、大規模な「ツイッターデモ」が起きました。街頭での抗議行動のように同じ場にいることができないかわりに、インターネットは時として比較にならない拡散力を発揮することを、目の当たりにした気がします。
 実現したのは、街頭とネットが連動した抗議行動の文化とネットワークがあったからです。日本では2003年、イラク戦争への抗議の頃からネットを通じて集まった若者がデモをするようになり、11年の反原発、15年の安保法制反対のデモが生まれました。世界でも、中東の民主化運動「アラブの春」や米国の「オキュパイ・ウォールストリート」、台湾や香港、韓国での市民運動なども、ネットとの連携がなければありえませんでした。
 集会やデモといった路上での抗議運動には何世紀もの歴史があり、民主主義と一体で、近代史を形成してきました。人がリアルな場に集まることのインパクトは大きく、それ自体ができない現状は、市民運動にとって大変な試練です。
 それと比べて「ネットでの運動はまだまだだ」と言い始めたらきりがありません。ただ、リアルな空間で数百万人が同時に声をとどろかせることは不可能ですが、ネットならできました。今回の「ツイッターデモ」も一人の市民のツイートが瞬く間に広がり、著名人が加わることでさらに共鳴していったことも見逃せません。市民がムーブメントを作って自らがメディアになり、運動を広げていくという意味では、ネットも路上での抗議行動も同じです。
 今後、感染症という脅威を乗り越える上で、市民社会と国家権力がせめぎ合う状況が続きます。緊急事態条項を創設する改憲案をはじめ、情報も権力も一元化した強力なリーダーシップに持ち込もうとする権力側の動きにどう対抗するか。SNSを使ったバーチャルな社会での議論が、実社会に影響を与えていく必要があります。
 昨年の香港での反政府デモでは、香港出身のアクション映画俳優、ブルース・リーの格言「Be Water(水になれ)」がモットーとなりました。水はコップに注げばコップの形に、ボトルに注げばボトルの形になるし、気体にも固体にもなる。それにならい、特定のリーダーを置かず、ネット上で議論しながら臨機応変に運動を展開しました。
 今回、我々は家にこもらざるをえなかった。でも運動のあり方は一つではない。試行錯誤しながら今できる方法で声をあげ、また集まれる時に向けてつなげていく。必要に迫られてではありますが、市民運動を広げていく機会になると思います。(伊木緑)

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