参院選2019

ママの会から統一地方選へー 長尾詩子(安保関連法に反対するママの会)

今回の統一地方選では、安保関連法に反対するママの会、通称「ママの会」に携わっていた候補者が、なんと25人も出馬しています。今回はママの会に長く携わってきた弁護士の長尾詩子(ながお・うたこ)さんに、ママの会のこれまでの流れと今回の立候補、いま長尾さんが携わっている大田区長選での神田順(かんだ・じゅん)さんの応援活動についてお話を伺いたいと思います。

 

­­————今日は宜しくお願いします。まず、長尾詩子さんご自身のお話を伺いたいのですが、長尾さんはどういった経緯で、ママの会に参加されたのでしょうか?

そもそもママの会は、発起人である西郷南海子(さいごう・みなこ)さんが「安保関連法に反対する学者の会」からインスピレーションを受けたことから始まりました。西郷さんは当時、「学者は学者でたくさんいるかもしれないが、子どもを持つ母親ということであればもっと広がるかもしれない」という思いで、たった一人で安保関連法案に反対するママの会をFacebookで立ち上げたんです。

その後、SNSをやっていない人にもアプローチしていかなければならないということで、ママの会として渋谷で街宣をやりたいという話が出ました。西郷さんは、「この渋谷街宣に協力してくださる人はいませんか」ということで京都から呼びかけました。この呼びかけに応じるかたちで、私の友人を含む多くの人が集まりました。

————とすると長尾さんは、渋谷街宣に際しての西郷さんの呼びかけに応じるかたちで、ママの会に入ったのですか?

それが少しだけ違って(笑)。その頃、札幌で「戦争したくなくて震える」と呼びかけた女性が実名を出してデモを主催したらSNS上でひどく叩かれたということがあったんですね。インパクトを与えるからには顔を出してやった方がいいけれど、でもやっぱり怖いよねと言った声が、ママの会のなかであったのです。

そこで、誰か弁護士が立ち会ってくれた方がいいという話になり、私に声がかかったんです。これが、私がママの会に関わるようになった始まりです。

このときは記者会見に立ち会い、「弁護士もこういうかたちで関わるので、何かあった時にはこちらとしては毅然として対応しますから、マスコミの皆さんもご協力ください」といったことを言いました。その後は、渋谷街宣の際に弁護士として警備体制を作ったり、国会要請などを行ったりしてきました。

————今回の統一地方選では、ママの会に携わっていた人のなかから、25人が立候補していますね。

もちろん、今回立候補した人たちにもいろんな方がいます。ママの会に関わる以前から政治の世界に関わっている人もいます。

その一方で、もともと組織などに属しておらず、安保関連法案に反対はしているけど何をしたら良いのだろう、というところから始まった人もいます。というのも、ママの会には「自分は専門家ではないけれど、子育てをしているということなら参加してもいいよね」という感じで入った人も数多くいるからです。こういった人たちのなかから、ママの会で活動していくなかで、政治に関わることの大切さを実感し、政治の世界に入っていったという方もいます。

ママの会は地域にあるので、それぞれその地域の方が、それぞれの地域で活動をしています。ママの会ができた後、2016年の夏に参院選があり、特に一人区ではたくさんの人が地域の市民連合の一員として活動していきました。このような各地域での市民の政治参加の積み重ねがあったからこそ、統一地方選に出るといった今回の出来事があったのだと思います。

————現在長尾さんは、今回の統一地方選で大田区長選に立候補する神田順さんの応援に入っているとのことですが、長尾さんから見た、神田順さんの候補者としての魅力は何でしょうか。

神田順さんは4歳から馬込に住んでいて、就職した時に少し離れたのですが、35に大田区に戻ってきて以後、ずっと大田区に住んでいます。東京大学名誉教授であり、建築の専門家であり、地元ではPTAの会長などを務めてきました。

神田順さんの経歴として一番大きいのは、建築基本法制定準備会会長を務めているということでしょう。現在、建物を建てる時に利益だけを追求する結果、「安く、かつ早く建てられる簡単なものを」ということで、建築コストがすごく切り下げられ、粗悪なものが造られ、すぐに壊されてしまうということが頻発しています。

神田順さんは、これをおかしいのではないかと言ってきました。「建築物には公共性がある」という観点で、しっかりお金をかけ、デザインして、長年使えるものを造れば、そこで働く労働者も賃金がとにかく安く切り下げられることもないし、すぐ壊して新しいものを建てるということで税金がかかってくくることもありません。つまり、公共の建物を造るための基本法を制定しなければならないと活動をしている人が、神田順さんなんです。

また神田順さんは、以前、釜石市の小さな漁村の唐丹小白浜に一度行ったことがありました。東日本大震災が起きたとき、「あのときお世話になった漁師さんたちは、どうしたのだろう」と見に行ったら、街は破壊され、昔見た風景もなくなっていたそうです。そこで「建築家としてできることはないか」ということで、退職金のかなりの額を使って「まちづくりセンター」という建物を建てたんですね。そこに住民の人に来てもらい、「みんなでポジティブに考えて、みんなで決めて、みんなの新しい街を作ろうよ」と話し合いをして、まちづくりを進めていく仕組みをつくり、その中心で活動してきました。

————神田順さんの公約を見ると、地元の人たちの声を聞き、それを政策に反映させようという点で一貫しているという印象を受けます。

そうですね。たとえば、羽田空港が増便する関係で、低飛行ルートで飛行機を飛ばそうという話があるのですが、そうするとその下に住んでいる人たちにとっては、騒音、落下物の可能性などの不安や危険があります。そこで、「空港がある地域だから」ということで、神田順さんは、羽田新飛行ルートは国政の問題ではあるけれど、もっと地元の意見を聞こうということで進めてもらおうと、国にアプローチしていこうとしています。

また、「蒲蒲線(かまかません)問題」についても神田順さんは言及しています。「蒲蒲線問題」というのは、始まりはJRの蒲田駅と京急線の蒲田駅が歩いて10分くらいかかって不便だという問題だったのですが、現大田区長は埼玉から来る新しい線を造ろうとしています。しかし実際には、埼玉からJR蒲田駅まで来る電車が大田区にどの程度停まるかというと、ほとんど停まらないらしいんですね。また新駅は地下の深いところに造られることになるのですが、JR蒲田駅に乗り換えるにはエスカレーターをずっと使用しなければならなくて、むしろ不便になる。赤字路線になるのではないかという話さえあります。それなのに、一期工事に1260億円もかかります。現区長は、大田区議会で野党議員が収支見通しを開示するように求めても開示すらしていません。それなのに、1260億円のうちのいくらかを大田区の税金から出すという話になっています。かなりの人が危惧しており、神田順さんはこれについてきちんと見直しすべきではないかと主張しています。

何より大田区は、お金持ちから貧困層に当たる人まで、いろんな人が住んでいるところです。同じようでも、みんな全然違う。だから大田区のサービスとしては、その地域ごとに異なるニーズを聞き、それを反映していくことが大事です。そのため神田順さんは、市民の参加型行政を可能にする「地域公共サービス住民会議」の創設を掲げています。

————公約も、また個人としても、とても魅力的な方ですね。現在の神田順さんを取り巻く情勢や街の反応などは、どうでしょうか?

神田順さんは、各政党から期待もされていて、立憲民主党、共産党、無所属などの街宣に党派を超えて行ったりしています。人柄が本当に良い方なので、いい意味で「政治家らしさ」がなく、会った人が「本当にいいよね」といい応援したくなる候補です。

しかし、まだまだ知名度を上げなければならないというところがあります。加えて、大田区長選挙と区議会選挙が同時にあり、特に区議会選ではそれぞれの政党が候補者を立て、選挙を行わなければならないということで、人が足りていません。私自身は、地域の法律事務所の一員としても、勝手連としても動いています。とにかくボランティアを大募集中です!

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長尾詩子さんのお話からは、身近な、地元からの関心が政治に直結するということについて、多くのことを伺えました。ママの会に携わった人たちは、選挙に際して各地域で活動し、そうした経緯のなかで25人もの立候補が実現しました。

また、実際に神田順さんは子ども・子育て政策についても多く言及しています。たとえば保育園の質を伴う増加について、長尾さんによれば、大田区では園庭のない保育園が増えていますが、建築家として神田順さんはこのことを非常に問題だと考えているそうです。加えて、大田区では3年ほど前に保育施設で赤ちゃんがなくなったという事故もあり、保育の質を重視する声があります。ただ保育園を増やせばいいという現区政を、神田順さんは変えたいとおっしゃっているとのことです。

自分の身の回りのこと——家族や地元インフラなど——が政治へとつながり、生活を改善し、共に生きやすい社会をつくることは決して不可能ではありません。長尾さんのお話は、日本の政治社会の可能性を指し示すものだったように思います。

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*インタビュー後日、長尾詩子さんより、メッセージをいただきました。以下、転載します。

 

 私は大田区という地域が大好きです。大田区に住むようになって18年経ちますが、町工場のみなさんの職人気質、商店街のみなさんの親しみやすさ、羽田から田園調布まで様々な顔を見せる土地柄、すべてが大好きです。この地域に育ててもらったと思っています。

 その大田区で子どもが育てられないから他区に引っ越すという人たちがいることは、心から残念です。多くの子どもが健やかに育ち、羽ばたいていけるそんな大田区にしたいです。

 その同じ夢を見てくれるのが神田順さんだと思っています。