政治のあたりまえを変えたい — 磯貝潤子
2015年以降、新潟で展開された市民政治は大きなインパクトを持っていた。2016年7月の参院選では、野党統一候補として立候補した森裕子氏が、市民の後押しを受けながら当選を果たす。さらに同年10月の県知事選では、野党が推す米山隆一氏が勝利。その後、米山氏の辞職を受けて実施された2018年6月の県知事選でも、与党系候補との闘いで池田千賀子氏が善戦した。
その新潟で次の県議選に挑む決心をした人がいる。新潟市南区から立候補を表明した磯貝潤子さんだ。彼女は新潟での市民政治のムーブメントのなかで、重要な役割を担ってきた。これまで通りなら統一地方選でも候補者をバックアップするために活動していたかもしれない。しかし彼女は違う道を選んだ。なぜ彼女は自ら立候補するという選択をしたのか。彼女の人生と市民活動との関わり、そして「政治家」として目指す未来について話を聞いた。
転機となった原発事故と新潟への避難
磯貝は1974年生まれ。1991年に高校を卒業後、一旦は一般企業に就職をするが、当時のスノーボードブームを目の前にして「自分もやりたい、今の仕事なんてやっていられない」と思い、スキー場でのアルバイトを始める。3シーズンにわたってバイトを続けながら、スノーボードの大会を回った。その後、彼女にはスポンサーがつくことになり、福島をホームとするアマチュア・スノーボーダーとしての人生を歩むこととなる。夏になれば、同じ「横乗り」のサーフィンを楽しむこともあった。ここまでの経歴だけを見れば、磯貝の人生と政治がつながる日が来るなど想像もできない。
その後1999年に結婚し、福島県郡山市に住むようになる。二人の子どもにも恵まれ、2008年には念願のマイホームを建てた。そのようななかで彼女をおそったのが、東日本大震災、そして原発事故だった。ひとまず家族が無事だったことに安心しつつも、放射能の影響について心配する日々の始まりだった。彼女はどうしたらいいのかという不安を抱えつつも、自分なりに放射能について調べた。
“原発事故や放射能のこと、私は受け入れることができませんでした。何より子どもたちに対して申し訳なかった。放射能のことを考えると、スノーボードやサーフィンも心の底からは楽しめないと思った。子どもたちを山や海に連れて行くことを受け入れられなかった。大切にしていた仲間たちと分断されたような気がしました。”
原発事故から約1年間は、子どもたちのためにできる限りの対策をしながら暮らしていた。しかし考え抜いたすえに、彼女は子どもを連れて、新潟市への避難を決意する。
「避難者」として、政治に目を向けるようになった磯貝にとって、県議会や国会で起こっていることはいびつだった。政治家たちが、本当に私たちの暮らしのことを考えているとは思えなかった。これは「あたりまえじゃない」、「普通じゃない」と感じた。政治について考えれば考えるほど、社会のおかしさに目が向くようになった。彼女は、「気付いた人から声を上げ、政治に関わり始めなくては。」と思い始め、自分自身も政治にコミットするようになる。
2015年には、安保関連法に反対するママの会の活動に関わった。さらにその延長で市民連合@新潟の共同代表を務めることとなる。今の政治を変えるための選択肢をつくるため、2016年の参院選に向けては、野党各党を協力させるために奮闘した。これまで政治との関わりが薄かった人々も含めて、多くの人がボランティアとして選挙戦に関わった。そのような積み重ねもあり、参院選・新潟選挙区では野党統一候補である森裕子氏が当選を果たす。そのネットワークは、県知事選をはじめとする、その後の選挙でも生かされることとなる。
「これからを生きる子どもたちが生きやすい社会であってほしい」
2019年の統一地方選を前にして、新潟では「バランスのとれた県議会を実現する県民の会」が発足した。県議会53議席のうち、与党系は無所属も含めて、33議席を押さえている。与党が提案したことは、議会をするすると通っていく。逆に野党系の議員の提案はなかなか通らない。さらにジェンダーバランスという観点で見ても、女性は2人しかいない。県議会の構成はいびつだ。このまま無投票になりそうな選挙区もあるが、きちんと選択肢をつくり出さないといけない。こうして地方選に向けた取り組みが本格的に始まった。
磯貝はそもそも自分自身が立候補するなど考えもしなかった。今の政治に強い問題意識を覚えつつも、自分が選挙に出ることは、今の自分の生活を捨てるようで嫌だった。誰か今の政治を変えてくれる代表者を探さなければならないと思っていた。しかし結果的には、そんな人が簡単に現れるはずもなかった。これから4年間の政治が、この選挙で方向付けられる。原発事故を受けて避難してきた当事者として、自分が入ることで変わることがあるかもしれない。彼女はそんな思いを抱くようになった。
何よりも彼女を後押ししたのは、子どもたちに今のままの社会を引き継げないという思いだ。
“私たちが死んだ時に、この街は、この社会はどうなるんだろうと思うことがあります。言うまでもないけど原発事故によって子どもたちの健康がおびやかされるようなことは二度とあってはいけないと思う。子どもの自殺や児童虐待が問題になっているけど、大人の生活がおかしくなっていることのひずみが子どもたちにいっていると思うんですよね。これからを生きる子どもたちが生きやすい社会であってほしいと、私は思います。”
立候補を考えている磯貝に対して「やめたほうが良い」と声をかける人もいた。それは「大変なことに自分から突っ込む必要はない」、「これまでも苦労してきたのだから楽になった方がいい」という思いから発せられた言葉だった。しかし磯貝のなかでは、「このままでは子どもたちに申し訳ない」、「これからのために自分にできることをしなければいけない」という思いの方が強かった。こうして彼女は県議選への立候補の決心を固めた。
そんな磯貝だが、政治に関わっていると思われるのは、あまり好きではなかった。政治に関わることが、どこか特別なこととして扱われるのが嫌だった。彼女はそんな政治への空気も変えていきたいと考えている。
“選挙に出るからには、ある程度きちんとした格好をしなければという思いもあるんだけど、それ以前にごく普通に自分は自分でありたいですね。私たちが暮らしている感覚と、政治がずれていてはいけないと思う。ちゃんと趣味もあって、自分のスタイルがあって。いろいろな政治家のカタチがあっていい。自分が当選できたら、少しでも政治のあたりまえを変えることができるかなと思う。”
どこまでも「市民感覚」の政治家がいることで、彼女は政治への垣根を取り払いたいと考えている。「これまで政治とは距離があった人たちのなかにも、自分が選挙に行ったら変えられるかもしれないという意識が生まれてほしい」、そんな思いを持ちながら、彼女は今日も訴えを続けている。
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新潟での市民政治は、選挙を重ねるごとに進化を続けている。今回の選挙では、磯貝のように、政治に関わる市民から代表者を出そうという動きにまで発展している。さらに「バランスのとれた県議会を実現する県民の会」は、自分たちで作成した政策協定書に基づいて候補者を推薦する取り組みも行なっている(詳細はHPを参照)。このような動きは、同じ思いを持って政治に関わる全国の市民にとって参考になるものだと思う。
〈LINK〉
いそがい潤子HP
https://isogaijunko.jimdofree.com/
バランスのとれた県議会を実現する県民の会HP