市民と立憲4党の共闘の原点は、尊厳ある個々人の暮らしを守るための「リスペクトの政治」。 そこから浮かび上がる日本の課題、また必要な政策対応はどのようなものなのでしょうか。 市民の声に応え、衆院選で確かなオルタナティブを提示するために、 立憲4党それぞれが構想する未来の展望をじっくり聞いてみました。


May 31 2017

立憲4党と語る、
これからの日本
自由党編

自由党が目指すものとそれぞれの決意

津田 これから特に注力していきたい問題はなんですか?

 残念ながら、自民党の妨害で、民主党政権の掲げたチルドレンファーストが徹底されず、いまは「安倍友ファースト」、「森友学園・加計学園ファースト」になってしまいました。そもそも、2009年政権交代の時点でも子育て支援を拡充するのが遅すぎでした。あの時が最後のチャンスだったと思います。というのも、どれだけ子育て支援を充実しても、子どもを産める女性の数自体が減っていってしまうからです。自民党は、給付型奨学金を創設しましたが、ごく一部の学生にしか適用されません。アリバイ作りにすぎない。本気でやるならもっと大胆にやったほうがいいです。

津田 教育の無償化は、憲法改正の道具に使われていますね。

 介護保険料、介護サービス利用料引き上げの法案が成立しました。国民の負担を増やすことばかり考えています。デフレの悪循環は、社会保障政策の失敗によって作り出されている。しかしその話をすると、すぐ消費税増税の話にすり替えられてしまう。

玉城 国会を運営するときに、国民にこれ以上負担をかけないようにやるという視点が必要です。少子高齢化の中で貧困化が進めば、100均でしか買い物ができなくなってしまいます。根本的に政治を転換させなきゃいけない。

津田 岡さんは生活実感としては何を期待していますか?

 私はやはり保育の問題や教育にもっとお金を使って欲しいと思います。

 それはできますよ。しかし、公共工事等のためには平気で借金するのに、なぜか教育や社会保障充実の話になると、「財源はどうするんだ」という話になります。消費税増税などでお金を無理やり集めることが財源を確保することにならないし、結果的に経済を悪くしている。なぜそれで国民のみなさまが納得してしまうのかわかりません。

津田 経済の貧困の問題に関してはどうお考えですか?

玉城 全国では6人に1人、貧困問題に直面しています。沖縄では3人に1人が貧困です。私の地元のうるま市の平均所得は168万円。沖縄の平均は206万円。200万きったらワーキングプアなんですよ。そういう現状にあるのだから、社会保障をどこに分配しなければならないかといえば、子育てと教育の環境をきちんと作らないといけない。若い人たちからとるのではなく、若い人たちに与えていくこと。

沖縄では「基地か経済か」と言われます。しかし、この貧困は基地があろうとなかろうと直面している問題です。実際、基地経済は沖縄のGDP4兆円の5%、2000億円くらいしかありません。もらっている予算と同じ額の税金を国に納めています。基地がないと貧困の家庭が増えるというのはデタラメです。貧困の問題を解決するためには、半分は子どもや人材育成につかっていくべき。民主党政権時代に地方分権の形として、沖縄を先駆的なモデルとしてやろうということになり、それで徐々に良くなってはいますが。

津田 玉城さんはラジオDJをされていた頃から政治のこととか考えていらしたんですか?

玉城 考えるわけないよ!毎日ロックンロール(笑)タレントとしてデビューしたのは30代くらいです。それから30代も後半になって、将来自分が何をやりたいかと考えたときに、いろんな人たちに会って勉強をしたかった。そこでいろんなことを学びました。
本当はNPOを立ち上げて下支えなどをしたかったのですが、一度はタレントとして表に立ったのだから、最終的に表に立って政治家をやろうと思いました。「二足のわらじだ」と相当ボロクソ言われたり、「議員になって苦労しなくてもいいさ〜」とも言われました。議員になって欲しくないという人もいっぱいいましたが、なにか世のため人のためにできるならと思って議員になりました。自分の人生のことだから自分で決めたかったというのもあります。

津田 森さんはどういう経緯で議員になられたのですか?

 私は逆にすごく意識低い系でした(笑)。昭和63年に夫の母と同居するために、地縁、血縁のない所に家を建てました。1万人くらいの町だったのですが、たまたま近所に住む教育長さんから、一番下の子どもが幼稚園に入るときに、社会教育指導員という仕事をしてほしいと。これからはお任せ民主主義の時代ではない。自らの頭で考えて行動する町民を育てて、新しい町づくりのムーブメントを起こしてほしいと頼まれました。

津田 いままでそういうことされていた経験は?

 なんにもないですね(笑)。3人の子育てや、自分の仕事で忙しくて、社会変革とはまったく無縁でした。1番目の子どもを育てるときに新進党ができて、「へえ日本も変わるのかな」と思いました。新潟では田中角栄の人気がすごかったので、その愛弟子である小沢さんへの期待もありました。

津田 そういう意味でも小沢さんが自民党から出たのは衝撃でしたか?

 新しい政治を作ってくれそうな小沢さんを一度総理にしたいという人はたくさんいました。
私はまちづくりのイベントや介護・保育等のボランティアを育て、その事務局をやっていました。介護保険がちょうど始まる年の地方統一選挙のとき、自分たちの代表を政策決定の場に送らねばということになり、いつの間にか外堀を固められ、選挙に出るしかなくなってしまった。だから、玉城さんとは真逆(笑)。私は最後まで抵抗しました。町会議員の選挙は一番難しいんです。申し合わせで街宣車も回さないし、朝晩知り合いのお家に行ってお仏壇のお参りをするのが選挙運動という土地柄です。そして、その町では初めての女性議員でした。