市民と立憲4党の共闘の原点は、尊厳ある個々人の暮らしを守るための「リスペクトの政治」。 そこから浮かび上がる日本の課題、また必要な政策対応はどのようなものなのでしょうか。 市民の声に応え、衆院選で確かなオルタナティブを提示するために、 立憲4党それぞれが構想する未来の展望をじっくり聞いてみました。


May 24 2017

立憲4党と語る、
これからの日本
社会民主党編

社民党議員のバックグラウンド——なぜ安倍政権に反対なのか

津田 いま安倍さんが憲法改正を主張しています。1項と2項を残して9条を変えると言っています。また、教育の無償化も突然言い出しました。これには反発も大きいですが、一方で上手いなとも思いました。9条と自衛隊をめぐっては、法的安定性の問題もあるため、比較的国民の理解を得やすいと思います。この戦略に対してどのように論理的に反論するのかが、リベラル側に突きつけられた難しい問題だと思います。

福島 安倍総理はそもそも憲法を理解していない。9条の1項2項に基づけば違憲のはずなのに、集団的自衛権を容認する安保法制を強行採決してしまいました。その安保法制を合憲化するための3項になってしまいます。しかし、集団的自衛権を書き込むことや、自衛隊は具体的に何をするのかについてはごまかしている。
「変わらないですよ」と言いながら、戦争しない国から、戦争する国へ180度変わってしまいます。5月3日の安倍さんの会見は国民への宣戦布告でした。自分が本当にやりたいのは改憲で、戦後レジームから脱却したいのだと。それを2020年までにやると言っている。

又市 自民党の9条の改憲案は非常に練られていると思います。国民の8〜9割は自衛隊を認めてもいいんじゃないかと考えています。ですから、それをそのまま憲法に書くというのです。しかし、実際に国民が認めているのは、災害時の救助や、海外でPKO活動をする自衛隊です。海外での戦争はダメというのが国民の意思でしょう。
教育の無償化も突然言いだしました。2010年に高校授業料無償化・子ども手当に取り組んだとき、「バラマキだ」と批判したのは自民党の方です。しかも、改憲しなくても財政措置で無償化にできます。「バラマキ」的に無償化を訴えているのは自民党の方です。

津田 安倍さんはまさに現状の違憲状態を変えようとしていますよね。

福島 政府も、集団的自衛権を行使する自衛隊は違憲であると考えていました。だからまず違憲のまま解釈改憲をした後で、合憲にしようというわけです。これでは順番が逆です。

津田 次に、おふたりのパーソナルなことをお聞きしたいのですが、いまの思想を持つにいたった個人的なきっかけはなんでしょうか?

又市 私は1945年生まれです。戦時中、父親が軍用トラックにはねられて、身体障害者になりました。1年後に富山空襲があり、母親が非常に苦労して育ててくれました。地域社会のなかで障害者に対する差別が酷かったのを覚えています。そうやって、小さい頃から差別や戦争を、自らの体験として記憶しています。父が働けないため、貧乏のどん底で小学校5年から新聞配達や田んぼを耕して家計を助けなければなりませんでした。

親の反対を押し切ってアルバイトをしながら高校に通い、その後、県庁に入りました。ここではすごい経験をしました。1966年に公務員が初めてストライキをしたとき、3つの県庁に機動隊が導入されました。そのとき先頭に立つのは青年部です。警察権力に蹴散らされました。その時、憲法に決められたことが守られないことにショックを受け、人生観が変わりました。ストライキは成功しましたが、みんな処分と弾圧を恐れて、バラバラになってしまいました。仲間をつくらねばと思い党に入りました。

津田 福島さんは、もともと弁護士ですね。弁護士を始めたきっかけはなんだったのでしょうか?

福島 私は中学生の時に、ジャーナリストか、小説家か、弁護士になりたいと思っていました。それで高校1年生のときに弁護士になることを決心して、大学は法学部に行きました。手弁当で社会活動をがんばっている弁護士を見て、あのように自分も社会を変えたいという気持ちがありました。

津田 弁護士から、議員になったきっかけはなんだったのですか?

福島 当時、土井たか子さんが行っていた、女性中心の集会に行きました。そこで握手してもらったことが嬉しかった。それまでは政治は男がやるもの、料亭で談合するものと考えていましたが、距離がぐっと近くなりました。それから土井さんの選挙の応援や法案づくりなどもやるようになりました。土井さんにはすごくお世話になりましたね。
そうして、1998年に立候補することになりました。弁護士もやりがいのある仕事でしたが、憲法や9条が変わってしまうなら立ち上がるしかないと、立候補を決めました。

津田 もともと社会を変えようと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?

福島 やはり親の影響は大きいと思います。私の父は特攻隊の生き残りでした。予科練で訓練を受けており、戦争末期に若い時を過ごしました。8月15日になると、父が泣いているというのがショックだった。父から戦争の話をよく聞いていたので、戦争のできる社会にはしてはいけないと思いました。